エコポイント&スマートグリッド

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2008年5月チェルノブイリ原発事故の現場訪問記(その1)

2011-04-04 00:00:40 | Weblog
(原子力安全と私)
私は、2007年6月から09年6月までの2年間、原子力安全(国際関係担当)の仕事に従事したことがあります。2年間の仕事の過程で、07年7月に起こった地震による柏崎刈羽原子力発電所の運転停止問題も経験し、IAEA(国際原子力エネルギー機関)における津波に関する国際安全基準の作成等にも関与しました。その関係で、今回起こった福島原発事故とは不思議な因縁を感じます。
  08年5月には、ワシントンでのNRC(米原子力規制委員会)との協議、ウィーンにおけるIAEAでの国際会議後、ウクライナの首都キエフでEU原子力安全機関のチェルノブイリ原発安全確保への支援について事情聴取したのち、チェルノブイリ原発を訪れました。1986年にメルトダウンを起こした人類の原子力史上最悪の事故の現場です。早朝キエフのホテルを出発し夕方戻るまで1日間の行程でしたが、原子力発電所があったサイトではメルトダウンを起こした場所からわずか100メートルのところ(安全が確保される最大のところ)まで接近しました。
ウクライナの後はロシアを訪問し、ロシアの原子力安全規制機関であるロステクナゾール(次官以下との会談)、原子力・放射線安全科学施術センター、原子力開発を担当するロスアトムとの協議を経て日本に帰国しましたが、チェルノブイリ原発訪問は、生涯の記憶に残る鮮烈なものでした。そのときの訪問記を改訂しましたので、4回に分けてお送りします。

 (ホテルからチェルノブイリ原発へ)
 チェルノブイリ原発は、ウクライナ共和国(旧ソ連)の首都キエフから約100km北にあります。チェルノブイリ原発訪問当日の天候は晴れ。ただ、ワシントン、ウィーンでの国際会議の連続と長旅、そして何よりも時差により前日はほとんど眠られず、体調は最悪の状態でした。内部被爆を恐れて、ペットボトルを何本も車に積み込んだ上での出発でした。
 原発に近づくと30km手前に検問所があり、検問手続きのためしばし待たされました。検問より先は、いまだ立入禁止区域となっています。検問所の脇には、「チェルノブイリ」 原野が広がっていました。「チェルノブイリ」とは、このあたりに多い雑草のヨモギの1種で、これにちなんで原発の名が付けられました。よく見ると、周囲にはリンゴやスモモの木も点在していました。
 手続きが済んで検問所を通過すると、放射能汚染によってゴーストタウン化したアパート、強制的に取り壊された村の跡もありました。いよいよチェルノブイリ原発に近づくと、往時は原発からの電力を送電した送電線が見えてきました。チェルノブイリ原発のサイトでは、まずチェルノブイリ原発を覆っている「石棺」の修復作業に携わっている現場の責任者の話を聞き、事故後22年経過してもまだ安全確保のための作業が継続していること、日本をはじめとする先進国が毎年G8サミットでの合意に基づいて技術的・経済的支援をしていること、これらの努力が未来永劫続けられなければならないことなどを改めて認識しました。
 チェルノブイリ原発を覆っている「石棺」とは、事故後の大混乱のさなか、放射能の拡散を抑えるために、コンクリート30万m3、鉄骨6000tなどをかき集めて、原発をそっくり覆ってしまうために構築されたものです。作業部隊は重さ20kgもの防護服を着て、強い放射線のために1回の作業は1分13秒しかつづけられないという過酷な状況下で働いたと言います。

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