Fun with NATURE

人と人、人と自然をテーマに
まっちゃの環境、自然、あそびの広場

美味しいものを食べるために

2008-02-26 | ライフスタイル
一昨年頃からお味噌汁が美味しくなりました。自家製味噌を使うようになったからでした。自家製味噌がなくなって、ダシ入り味噌の味噌汁を口にすると調味料の味で、美味しく思わなくなりました。

昨日、お世話になっている主婦の方にお味噌づくりを教えてもらいました。
事前に、麹やお豆を用意してくださっていた(大豆は一晩水につけて、圧力釜でやわらかくなるまで炊いておいてくださりました)ので、まずは麹に塩を混ぜて粒を小さくすることから始まりました。



麹を初めて触りました。良く見ると米にうっすらと白いカビのようなものが生えています。カビじゃないんですね。麹菌です。
ちょっと口にすると甘くて美味しい。(甘酒の元ですからね)
麹を混ぜているとだんだん手がすべすべになってきました。
酒造りをしている方の手が美しいというのを少し理解できます。



圧力釜でやわらかくなった大豆を粒がなくなるまでつぶして、外の風にあてて冷まします。温かいままだと、麹に混ぜた時に、菌が死んでしまうそうです。



冷ました大豆と麹を丹念に混ぜて、空気が出来るだけ入らないように桶に仕込んでいきます。上には再度塩をふりかけ、ガーゼと酒かすで蓋をしてできあがり。

実は「できあがり」ではなく、「これから」です。麹菌の力で美味しくなっていくはずです。麹菌に頼りっぱなしです。
半年後少し寒くなり始めたころが楽しみです。

そうそう、お味噌汁の味と調味料の味の違いが分かり始めた頃から、天然のものの美味しさが少し分かったような気がします。少しです。グルメではないので。

またまた雪で

2008-02-25 | 自然


土曜日午後から降りだした雪は、日曜日の朝には10センチ以上積もりました。
出かけた先で横道に入ると、ノーマルタイヤの車では滑らないかドキドキするような状況でした。
出かけたついでに、久しぶりに琵琶湖博物館に寄り、滋賀の化石や鉱物、琵琶湖の文化、魚類などの展示をゆっくりと見ました。
普段、子ども達と出かけることは多いのですが、個人で展示を見ることが少ないので、自分の興味にしたがって見ると、まだまだ見てない展示があることに気づきました。

最近興味が高まりつつある化石や鉱物の展示を見ては「おーこんなものがどこどこで産出しているのかー、今度行ってみようか」とインディジョーンズを想像したり、動物の骨格標本を見ては「いっぺん動物や魚類の死体で骨格を作ってみたいなぁ。まずはケンタッキーからやなぁ」と骸骨を想像したり、地元の瀬田の唐橋の歴史を改めて知り、ふむふむとうなづきと、わくわくする時間でした。

学芸員の方に話を聞いていると、琵琶湖の二枚貝は未だ何を食べているのか分からないとのこと。
珪藻類を食べているらしいが、確実ではなく、長期の飼育ができないそうです。
また、琵琶湖でセタシジミを放流しているが、餌が分からないために産卵後の卵から孵ってすぐに放流しているそうです。餌が分からないために、小さなまま放流し、魚に食べられることが多いのではないかと話されていました。



琵琶湖博物館は、学芸員による解説コーナーや、インタープリターが常駐していて、展示のお話をしてくれたりと、人がつなげる博物館です。

余談ですが、個人的にはミュージアムショップも好きです。
変わったもの(化石や鉱物、魚グッズ、科学グッズ、琵琶湖博物館の企画展示解説本など)、滋賀ならではのもの(里山の写真集やイラスト、ビワコナマズ関連のもの)などがあって、財布のひもがゆるくなります。

遊びの森

2008-02-21 | 子ども


子ども達といつも一緒に遊んでいる東近江市八日市の五十年森。

雪が降れば、みんなで雪遊び。雪合戦に、キャッチボールに、雪だるまに、樹の上に積もった雪を落としての大騒ぎと、道の雪がとけても、いつまでも残しておいてくれます。

秋にはたくさんのどんぐりを落として、子ども達にたくさんのおもちゃとお土産を提供してくれます。

夏はカブトムシやクワガタムシなどいろんな生き物が子ども達とかくれんぼを競います。

春はまだまだ遠いようですが、冬の五十年森でまだまだ遊びます。

子ども達を支え、周りの田んぼを支え、神様がおられる森です。

地域に大切な森が残って、その森でいっぱい遊ばせてくださることに感謝。

また雪が降り

2008-02-11 | 自然
土曜日にはよく雪が降りました。
朝から粉雪が舞い、少しずつ積もりはじめ、夕方には20センチ弱積もって、今年一番の雪でした。
夕方暗くなって、やっと雪が止んで、外に出かけてみると、雪のためぼんやり明るい世界。
近くの高台にのぼり、大津のまちの方へカメラを向けると、雪の間にポツポツ光が見えていました。



・・・・・

雪がやんで、次の日の日曜日
ちょっと体の調子もよくなったので、朝から音羽山へ出かけました。
雪の山に一番乗り!と行きたかったのですが、同じことを考えている人は結構いるようで、2番目か3番目だったようです。



晴れた空の下、雪で静かな道を歩くと、サラサラサラ と聞こえてきます。
サラサラサラー サササー
時には、バサッ ズサッ ザザザー
木の上から溶け始めたのか、重さに耐えられなくなったのか、あっちこっちで聞こえます。
のぼるにつれて、雪は深くなっていきます。
靴で雪をふめば、グッグッグッ と入っていきます。
今回の雪は、冷たい粉雪が風に吹かれて集まるように降ったためか、波打つように積もっている所もあります。

先にのぼっている人の足跡のほかに、小さな足跡がありました。
イノシシか、鹿か、山道を横切るように向こうからやってきてあっちの方へ続いていきます。
良く見るとお猿の足跡もあるようです。

下りの道では、溶けはじめた雪で、こけそうになることも何度か。
お腹が減る前に家に帰りました。



健康

2008-02-09 | ライフスタイル
月曜日から体調を崩しました。
急な腹痛の後、激しい下痢、むかつきとなり、いつもなら寝て休んで回復させる(これが基本やと思う)のですが、「あかん、こりゃちょっといつもと違う」と思い、病院へ。
胃腸風邪と診断され、筋肉注射に、1時間以上の点滴と受け、何種類もある薬をもらって帰ってくる頃には、さらに熱も出て、全身のえらさ。
それから数日間、仕事中は気が張って、なんとか大丈夫だったのですが、帰路につくころは車の運転も危なっかしい状態で、フラフラでした。
仕事以外はとにかく寝て休んで、今日は日曜日。
あまりの雪に仕事もキャンセルとなったため、早い回復を願って、うどんをすすってます。
未だに調子は出ず。日にち薬と思っています。

大病を患ったわけでも、手術をしたわけでもなく、一週間弱身体がえらかっただけ、ご飯があまり食べられなかっただけで、気持ち的には天変地異の大騒ぎ。
普段の健康にあることへの感謝を改めて感じます。

寝込みながら見ていた新聞で、「健康」の言葉に引かれて、記事を読みました。

読売新聞 2008年2月7日木曜日夕刊から引用
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松山巌
【健康】不健康な国に飛び交う
メタボリック・シンドロームなる用語が喧伝されて、胴回りを気にする人は多い。ではミロのヴィーナスや運慶作の仁王像はどうだろか。ルノアールが描いた女たちもメタボリックの基準を上廻っていないだろうか。いずれの彫像や絵にも私は溌剌とした健康美を感じるのだが、眼の錯覚なのか。それとも健康という概念が突如として変わったのだろうか。
ここ十年のことだろう、健康という言葉が無闇に目につくようになった。むろんそれ以前から健康でありたいと誰もが希っていただろう。では健康とはなだろう。病気はわかる。医者にかかれば、なかにはわからない病名もあるが、ともかく定義できる。しかし健康は病気ではないという相対的な定義しかできない。
ところがいまや健康なる概念は確固としてあるかのように枠づけられはじめている。二〇〇二年に公布された「健康増進法」。その第二条には「国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない」とある。これではまるで病気になったり、障害を得たりすることは罪のようではないか。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という憲法第二十五条はどこにいったのか。もはや国は国民の健康を守ることはできないから、自分の体は自分で守れと義務を負わせている。医療費増大への対処だろうが、病気や障害をもたぬように日々努力するのは辛い。精神的に圧迫を感じ、病気になりかねない。私自身も病院の検査でいろいろ禁止され、かえってウツになり、仕事を休んだ経験がある。
健康な生活、健康な食品といった惹句も目立つ。一つの惹句なら、なにやら有難味もあるが、並べると不気味な感じがする。「健康増進法」を作成した人は、健康な街の健康な住まいに暮らし、健康な食品を口にし、健康な隣人と健康な交際をし、健康な体力づくりに励むのだろう。健康という言葉が飛び交う国は不健康だ。
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ということで、私は健康への関心を忘れ、不健康な生活を送ってしまったがために、医療費を増大させた上、法律を犯してしまっていたようです。
「健康」が流行している状況は、いわゆる「健康」状態でないことは、悪だと思ってしまう社会になりつつあるような気がします。
ダイエットやプールに行って体を鍛えようとする私自身にも、その悪を退治することは素晴らしいことだという思いが入っているのかもしれません。

また、連日の冷凍餃子の報道を見るに、国が国民の健康を守ることは難しいように思えます。事件や事故が起これば、法律整備や行政として処分が行われるのでしょうが、全てを未然に防ぐことはできる訳はありません。
そして自分の健康を国のみに頼る体質自体がおかしいのではないかと思います。
報道が過剰になるにつれて、成分表示ラベルに中国製と書いているか書いていないかや、入っている添加物はどこの工場でつくられたか書いていないといったことまでが問われています。法律ができれば、さらに成分表示は増え様々な情報が書かれ、さらに消費者は見なくなるでしょう。そのうち加工食品の一つ一つに電化製品の取り扱い説明書並みの成分表示本がつくことになるでしょう。

全てに枠組みを決めて、型にはめることで、美化されたような気分になるのではないでしょうか。それは結局誰かに全てをコントロールされている状況、ロボットなのでしょう。
国に自分の健康や安全を決められるって、嫌ですもんね。