昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

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コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

寄生という共生方法

2024-07-15 07:47:37 | 日記
例えば与える側が尊く、受け取る側が卑しいとすれば、尊いというのは相手を卑しくさせる行為の事を言うのでしょうか。
個人的に両者は等しいと考えます。教える側と教わる側、使う側と使われる側、そこに上下優劣を見出すのは、人が作った物語に過ぎないと。

生物として存在するなら、生きるために他者を利用するのはごく自然な事。単体生存と集団を維持するための秩序を必要とするケースでは、そこに限定範囲差が生じますが、基本は同じ事かと。

共生には、イソギンチャクとクマノミなどの相互互恵関係が判りやすいものもありますが、サメ、鯨とコバンザメ、ヒトと顔ダニの様に互恵等価性が微妙なもの、アカマツとマツタケ、ウグイスに托卵するホトトギスの様に寄生主から一方的に搾取するだけの関係もあります。

この一番身近な例は、ヒトの地球への寄生でしょう。

共生パターンの好き嫌いは自由です。が、例え関係者2者間の相互依存ではなくとも、全体のシステムとして相互依存関係が成り立っていることへの注視が必要であり、また寄生された種が絶滅しない相互限定関係を成していることも理解する必要があると思います。おそらく自然淘汰的結果なのでしょうが。

そこから導かれる推論の1つが、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という人間世界より先んじる自然世界の法則か。

もし現在、寄生をお嘆きの貴兄がいらっしゃるとすれば、貴方にはそれだけの甲斐性があると相手に思われているのでしょう。
そうでなければ去って行っている筈。大したもんです。

ただ、それに度を超えた優越感を持ってしまうと不幸へ真っ逆さまか。
優越感と劣等感は、おそらく同じものですから。

市の石川県被災状況視察と防災対策報告に参加されたお客様から、防災用備品備蓄の個人責任に言及された発言について伺いながら、こんなこと考えてました。






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