昼下がりのコーヒー豆のあくび アーリーアフタヌーンコーヒー日記

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コーヒー豆屋のちょっとだけゆっくり流れる時間

情弱

2024-02-24 08:15:05 | 日記
東京谷中にある功徳林寺、元天台宗福泉院の境内にあったと伝わる笠森稲荷神社。その門前にあった水茶屋(喫茶店)「鍵屋」の看板娘こそ、江戸明和の三大美人筆頭笠森お仙その人でありました。

人気を二分したライバル浅草仲見世通り楊枝屋「柳屋」お藤が、化粧上手で美しく着飾り隙が無い、玉の如しと感嘆されたのに対し、磨かずして潔、形作らずして美、天然の麗し上品と評されたとか。鈴木春信の美人画が発端のこのブーム、花魁を女性美の頂点とし、遊女に象徴される艶色的女性価値観に些か食傷気味だった江戸紳士諸氏に、少しばかり素朴で爽やかな新しい女性美観を芽生えさせたようです。

13歳から水茶屋を手伝い始めたお仙。彼女見たさにお客は殺到し、谷中に行く口実にされた稲荷神社も大いににぎわい、錦絵、手拭い、双六などの関連グッズも次々販売されましたが、人気絶頂の1770年2月頃(19歳?)、突然姿を消します。兼ねてから相思相愛であった旗本御庭番に嫁いだから。

身分違いの恋、御庭番の同僚がまず養女に迎えてからの婚姻、2年ほど掛かったとか。めでたしめでたし・・・と言いたいところですが、その後の彼女の苦労を想うと手放しでは喜べません。武家と商屋の生活作法の違い、武家界隈、特に女性陣からの視線、御庭番とは情報収集を任とする隠密ですから旦那の仕事内容は極秘ですし、家族に会いにも行けず友人も知人もいない中、寂しさと途方に暮れることもあったのではないかと。

そんな時、もしかしたら、ちやほやされていた水茶屋時代が恋しくなったことがあったとしても、誰も責められないでしょう。

でもその過去は、モニター越しに見るアイドルや俳優と、何ら変わりのない「物語」に過ぎないことに気づいたかどうか。
案外現代より遥かに少ない情報量が幸いし、おかれた場所で最善をつくすのが当たり前と現代人よりは容易に頑張れたかも。
情報弱者は不幸であるとばかりは言えないと思います。

貧しいながらも旦那は誠実と伝わり、9人の子宝に恵まれ、1827.2.24お亡くなりになったとか。享年77歳。

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