「雨と詩人と落花と」 葉室麟 徳間書店 2018.3.31
表紙の絵は伊藤若冲。
天領の豊後・日田、私塾・咸宜園の塾主である広瀬旭荘は二度目の妻・松子を迎えた。
剛直で激情にかられ、暴力をふるうこともある旭荘。
だが、心優しき詩人である彼の本質を松子は理解し、支え続けた。
しかし、江戸で松子は病魔に倒れる。
時は大塩平八郎の決起など、各地が騒然としている激動期。
広瀬旭荘を全く知らなかったが、実在の人物だ。
菘圃葱畦(しゅうほそうけい)
路を取ること斜に
桃花多き処是れ君が家
晩来何者ぞ門を敲(たた)き至るは
雨と詩人と落花となり
旭荘の詩を斉藤松堂は、
ーー構想は泉が湧き、潮が打ち上げる様、字句は、球が坂をころげ、馬が駆け降りる様。雲が踊り、風が木の葉を舞上げる様だ
と評し、清国末期の儒者、兪曲園は
ーー東国詩人の冠
としている。
「武の前に文は無力だとは思わぬか」
という殺気を籠めた問いに旭荘は答える。
「たった今はさようでございましょう」
「しかし、百年後、二百年後、いや千年の後までもわたしを制することがおできになりますか」
才気煥発で女性ながら磊落な人柄の采蘋(さいひん)の言葉……味がある。
「ひとは自分が思わないところでひとを傷つけているかもしれません。(略)ひとは才において尊いのではない。ひとを慈しむ心において尊いのです」
「ひとはひとによって生かされている。そしてひとを生かすのは女」
「女が子を産むからだけではありません。(略)出会ったひとをいとしく思い、慈しむのが役目」
「ひとは誰かに慈しんでもらえなければ生きていくことができません。たとえ、血がつながらずとも、誰かに慈しんでもらえれば生きていけるのです」
病み衰える松子に付ききりになっている自分は小人なのかと考え込む旭荘に、松子は言う。
「多くのひとを助けるのも、ひとりを救うのも同じことなのではございますまいか」
「ひとりを懸命に救おうとするひとが本当に多くのひとを救えるのではないかと思います。ひとりを救わずに多くのひとを救うことはできないのではないでしょうか」
ああ、亡くなる直前の葉室さんは、こんな風に思っていたのだろうか……。
それとは別に、最近読んだ「必ずお返事書くからね」を連想した。
アメリカの一人の少女が、ジンバブエの貧しい一少年に救いの手を伸べたノンフィクションだ。
まずは、ご縁がある人との関わりを大切にして、手助けできることがあるなら行動する。
一歩ずつ積み重ねていかないと。