ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

「火定(かじょう)」

2018-04-05 23:37:17 | 

 

「火定」 澤田瞳子 PHP研究所 2017.11.24

 

時は天平。

藤原四兄弟をはじめ、寧楽の人々を死に至らしめた天然痘。

疫病の蔓延を食い止めようとする医師たちと、

偽りの神を祀り上げて混乱に乗じる者たちーー。

 

数えきれぬほどの死の中にあってこそ、

たった一つの命は微かなる輝きを放つ。

 

ーー世の僧侶たちは時に御仏の世に少しでも近づかんとして、ある者は水中に我が身を投じ、ある者は自ら燃え盛る焔に身を投じるという。もしかしたら京都を荒れ野に変えるが如き病に焼かれ、人としての心を失った者に翻弄される自分たちもまた、この世の業火によって生きながら火定入滅を遂げようとしているのではないかーー

 

焦燥感にかられ惑乱した大衆の一部は暴徒と化し、

一般の民衆の多くも犠牲となった。

施薬院に担ぎ込まれた暴徒たちにまで、なぜ医薬を分け与えねばならぬのだ、と、目を血走らせた名代に、医師の綱手は言う。

「確かにおぬしの申しようは正しかろう。されど、まことに憎むべきはあの暴徒どもであろうか。真に怒りを向けるべきは、あ奴らをそこまで追い詰めた官ではあるまいか」

「官は都の惨状にいったい何をしてくれた。無策を決め込んだがゆえに、迷うた民は正体の知れぬ神なんぞを信じ、暴徒と成り果ててしもうたのではないか」

 

(名代は)

人間、死ねばそれまでだ、と思っていた。だからこそ、せめて生きているうちに、自分たちは何か為すべきことを見つけねばならぬなのだと考えていた。

しかしながら病に侵され、無惨な死を遂げた人々の記録は、後の世に語り継がれ、やがてまた別の人々の命を救う。

ならば死とは、ただの終わりではない。むしろ死があればこそなお、この世の人々は次なる生を得るのではないか。

ようやく分かった。医者とは、病を癒し、ただ死の淵から引き戻すだけの仕事ではない。病人の死に意味を与え、彼らの苦しみを、無念を、後の世まで語り継ぐために、彼らは存在するのだ。

 

医は仁術、という。

確かに基本的にはそうあって欲しいと思うが、

医師の世界も社会の縮図なわけで、

場合によっては一般社会以上に上下関係やら派閥やらの思惑が行き交うこともあると思う。

恐らく、現代も昔も同じように。


病に打つ手がないと知ったとき、どう考え、どう振る舞うか……。

古今東西、そこにつけこむ人もいる。


誰しも、病と無縁ではいられない。

健康なうちに、病気や怪我の場合の心構えをしておきたいものだ。

 

 

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