平成19年4月23日(月)
後
3月29日、中学生の孫の曹操(本人が三国志から取ったペンネーム)に銀座へ行こうかと誘ったら浅草がいいと言うので二人で出かけました。来春が高校受験なので、カミさんが「おみくじでも引いてきたら」と勧めると「おみくじなんて・・・」と口では小馬鹿にしていたようですが、結局は買っていました。
宝蔵門は工事中でした。浅草寺にお詣りをしました。

小さい頃連れていったことがある花屋敷を右手に見ながら浅草ロック街へ出ました。

かなり以前の懐かしい2本立ての映画の上映を知らせる看板です。昭和30年代まではどんな田舎町でも映画館があり、こういう看板は目に付いたものです。

浅草演芸ホール。昔はもっと賑わっていたのでしょう。仲見世に比べ人通りもまばらです。

お馴染みのウンコこビル。某ビールメーカの吾妻橋ビルで、“本来は燃え盛る炎を形象した「フラムドール(フランス語 flamme d'or、金の炎)」と呼ばれるもので、ア○ヒビールの燃える心を象徴する「炎のオブジェ」”なのだそうだ。どう見てもそうは思えません。

吾妻橋の途中まで遊覧船に乗る人の行列が出来ていました。橋を渡りきって隅田公園あたりを眺めると遊覧船が出ようとしていました。



3月29日、中学生の孫の曹操(本人が三国志から取ったペンネーム)に銀座へ行こうかと誘ったら浅草がいいと言うので二人で出かけました。来春が高校受験なので、カミさんが「おみくじでも引いてきたら」と勧めると「おみくじなんて・・・」と口では小馬鹿にしていたようですが、結局は買っていました。
宝蔵門は工事中でした。浅草寺にお詣りをしました。

小さい頃連れていったことがある花屋敷を右手に見ながら浅草ロック街へ出ました。

かなり以前の懐かしい2本立ての映画の上映を知らせる看板です。昭和30年代まではどんな田舎町でも映画館があり、こういう看板は目に付いたものです。

浅草演芸ホール。昔はもっと賑わっていたのでしょう。仲見世に比べ人通りもまばらです。

お馴染みのウンコこビル。某ビールメーカの吾妻橋ビルで、“本来は燃え盛る炎を形象した「フラムドール(フランス語 flamme d'or、金の炎)」と呼ばれるもので、ア○ヒビールの燃える心を象徴する「炎のオブジェ」”なのだそうだ。どう見てもそうは思えません。

吾妻橋の途中まで遊覧船に乗る人の行列が出来ていました。橋を渡りきって隅田公園あたりを眺めると遊覧船が出ようとしていました。

曹操君・・・やっぱり三国志でした。。。
私の住む芦屋町・・・過疎の町なんですが
30年代 こんな映画館が3軒もありました。
猫化けの映画を見に行って以来
猫ちゃん派のかたに申し訳ないけど
ちょい苦手なんですよ。
懐かしいですね。
ビルのオブジェ .....。。。。。
宝蔵門は横から見るときっと懸魚がありますよね。
浅草をそぞろ歩けば
浅草寺、
ロック座・・踊り子さんには、ケシて手を触れないで下さい。
映画館
浅草演芸ホール
アサヒビール
吾妻橋
浅草の街をくまなく闊歩し、
隅田川いざよう波の岸近き、窓にのぼりてビールで乾杯。
東京に住むといえども縄文人、葛飾の片隅で江戸川土手の対岸の風景でも眺めていましょう。
どんこさんに脱帽です。
五木寛之氏の言うこれがドンこさんの林住期。
・
ありましたね。全盛期にはわが街にも6館もありましたよ。盆正月は立って見なければならないほど超満員でしたね。
中学校のそばにも映画館があり、午後からは毎日「街頭ご通行中の皆さま、ご家庭の皆さま、こちらは・・・」と映画の案内の声がスピーカーから聞こえ、そわそわしたものです。
曹操は国語の女先生から古典の暗誦をさせられたそうで、行き帰り、枕草子、方丈記、徒然草の冒頭の部分を聞かせてくれました。
今時暗誦を指導するとは、いい先生に恵まれたねと褒めてあげました。
何回も行っているのに、宝蔵門の懸魚には気がつきませんでした。
ロック座のきれいな踊り子さんを見れば手がひとりでに動き出すかも知れませんね。
「あっしが悪いのではなく、この手が悪いんでござんす」と言い訳を用意しておきましょうか(笑)。
1年365日の中の14日間をいかに有効に使うか、気紛れの中にもそのことで頭がいっぱいになります。
五木寛之の言う、社会人としての務めを終えたあと、もっとも輝かしい「林住期」=「第二の人生」とはほど遠いですが、縄文人さんからそう言われると何だかその気になって、幸せ気分になるから不思議です。
縄文人さんこそ 輝かしい「林住期」を送っていらっしゃるような気がします。
東京って不思議な街ですね・・・・
過去と現在と未来が混在しているような錯覚を覚えます。
写真を見ているだけで、ワクワク心が躍ります!!
・・の人口がひしめく街ですから何があっても不思議ではありません。
昔、漱石の「三四郎」で東京に行って一番驚いたことは婆さんが口紅を付けていることだとありましたが、今は田舎でも当たり前になりました。
今驚くことは真昼なのに何で来る電車、来る電車が満員だろう?と言うことです。
あの世でも東京はひしめきあっているのかな?
銀座も若者には、ちょっと高級なお店が多いけど
浅草とは、渋いですね。
ビール会社のビルは、目立ちますよね。
東京より東の地から帰ってくるとき
「ああ~、東京に入ったなー」って見えると思います。
トラウマは消滅していないようです(笑)。
男の子のくせに(何て言ったら叱られそうですが)新しいものへのチャレンジ精神が希薄な子です。食べ物も例えばある店でテリヤキハンバーグを食べたらずっとそればかりを注文する子です。今度は違うものを食べてみようかなと言う気が起こらないと言います。
浅草へ行く気になったのは去年もうちのカミさんと二人で出かけたからだと思います。去年浅草なら今年は別の所へ行きたいと思うのが普通でしょ。
だから銀座はイヤだと思ったら一生行かないのじゃないかと思います。
orangutansmomoさんに食べ物の指南をして欲しいものです。
曹操がこのコメント読んだら怒るかな
これのお陰で景観が損なわれてるんですよね。
ここのライトアップも綺麗なんですよね。
境内周辺にはこち亀の石碑がありませんでしたか?