2020年(令和2年)8月26日(水)
書棚には多くの句集や詩集があります。平成4年(1992)11月に京鹿子社から発行された足達慶蔵句集「茶寿の夢」です。「茶寿」とは「茶」の漢字を分解するとくさかんむりが二十、下が八十八で計百八歳の祝のことです。ご本人は百七歳で天寿を全うされました。明治43年に結婚、1男2女に恵まれました。
平成4年5月に市の野原八幡宮境内に建立された句碑です。玄孫:子ー孫ー曾孫(ひまご)ー玄孫(やしゃご)という順番です。本人からして5世になります。
句碑の裏面の銅板です。慶蔵先生の俳句の師匠でもあった西山胡鬼さんが記しています。西山胡鬼さんと私もいろいろ関わりがありますがここでは省略します。
曾孫さんからの花束贈呈です。
数えの百六歳の句です。
序幕式の記念写真。写真はいずれも句集から拝借しました。
慶蔵先生の存命中に幾度かお目にかかったことがあります。いとこ宅の法事ですぐ横に座ったこともあります。先生はヘビースモーカーで1日に4,50本は吸われていました。しかし、3服ほど吸うとすぐ灰皿でもみ消されていました。
私が関わった「有明小学校百年誌」(昭和51年発行)では長老として座談会に出席され、その模様を「語り聞かせ」として私がまとめました。慶蔵先生からは面白いまとめ方だね、と言葉をいただいた記憶があります。私がまだ30歳代の頃です。
「明治の語り聞かせ」。小さくて読めないとの声にお応えして、拡大して再掲しました。
句集「茶寿の夢」から私の好きな句をピックアップしました。
茶寿の夢 から選ばれた俳句 ご立派ですね、
いつも 自分ができないことや体調を 歳だから
と思っていたけど 今からでも何かできそうな気になりました。
ありがとうございます。
≫≫西山胡鬼さんと私もいろいろ関わりがありますがここでは省略します。
の内容が、ほぼ理解できました。
句集を何冊も作り、そして立派な「長寿の碑」
”七五三
見せに来るのは
どの玄孫
写真にどんこさんのお顔も・・・・?
では、我が愚作を
句碑の裏に、「生涯学習の為に、86歳で俳句入門・・・・・」、この”気”見習わなくては
・ 子どもの日句碑の建立百六歳 (縄)
。
いくつになっても挑戦する心意気
ご立派ですね
もう年だからとは言っておれませんね
素晴らしい先輩が荒尾にもいらっしゃったんですね
茶寿の祝い
どんこさんも是非頑張ってください
ご本人はもう86歳とは思われずに
まだまだ86歳だと思っておられたのでしょうね。
momomamaさん、チャレンジ精神を学びましょうね。
当時熊本県の最高齢者として百五歳の誕生祝に日本たばこ産業(JT)から
ヘビースモーカーの足達先生に1年分のたばこ千箱が
私の歳でももう小学校の同級生の3割が
浄土に召されています。
西山胡鬼さんには俳句会に随分誘われたのですが
短詩文芸は苦手だと固辞していました。
連れ合いは「京鹿子」に加わり、俳句の真似事していました。
胡鬼さん亡き後は活動も下火になってしまったようです。
写真?いえいえ、写っていません。
縄文人さん、気合い充分ですよ!
足達先生に言わせれば
洟垂れ小僧どころか赤ちゃんかも知れませんね。
句集を紐解いていると改めて
人生とは何かと考えさせられましたね。
茶寿をお互い夢みて過ごしましょうか・・・。
コロナも猛暑もへっちゃらになったような気がします。
荒尾の凄い先輩のご紹介興味深かったです。
茶寿という言葉を初めて知りました。
>どの玄孫・・・とは、子孫繁栄お幸せな生涯だったのですね!
どんこさんの「明治の語り聞かせ」のまとめ文読みたかったですが・・・目がウロウロして読めませんでした。
我が家も一時、4世代一緒の生活でしたが、子孫繁栄とはいかないようで心が痛いです。
どんこさんも早く曾孫が見たいですね!
きょうは降らずじまいでした。
夕方も水遣りをしましたよ。
そうですね、慶蔵先生は幸せな人生を全うされたと思いますよ。
「明治の語り聞かせ」、読めたとしても熊本弁で分かりづらかったと思いますよ。
そのうち標準語に翻訳してみますね。
曾孫、いつになるでしょうかね。5人の孫のうち、やっと一人が結婚したばかりですから・・・。
あすは
荒尾の素晴らしい大先輩ですね。
86歳から俳句を始められ、「茶寿」間近まで読まれていたとは
本当に素晴らしい。
曾孫さんからの花束贈呈の写真を見ていると背筋はピンとしていらっしゃいますね。
どんこさんの「明治の語り聞かせ」・・・大きくしてみたけれどならず。
虫眼鏡を使っても読めず、とっても残念です。
今日は急に雨がひと降りしました。
荒尾尋常北小学校に着任されています。
もかさんの母校ですよね。
その後玉名彌富小学校や荒尾市内の小学校を大正14年まで歴任、
大正14年3月31日、熊本県より朝鮮京幾道へ出向を命ぜられ
昭和20年11月帰国するまで朝鮮の各学校で校長として勤務されていました。
読みにくくて迷惑をおかけしました。
今度は読めるでしょうか。よその人には荒尾弁、通じにくいでしょうね。