平成29年3月29日(水)
ラムサール条約湿地の荒尾干潟近くに環境省がビジターセンター(仮称)の建設を29年度から取りかかることになり、建設予定地の旧食肉センター跡の地下構造物の撤去工事が始まりました。荒尾市蔵満です。2月16日撮影。
地下の水道管などを検知しています。
2月17日。大掛かりな重機で地下のコンクリートなどを掘りあげていました。
(とさつ)された動物たちの獣魂碑です。片隅に建っていましたが、後日撤去されました。
2月25日。まだまだ地下から掘り上げています。
3月6日。獣魂碑の撤去。
工事もはかどってきました。
3月9日、もう構造物撤去工事は終了していました。
後は新年度からのビジターセンター建設を待つのみです。
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ビジターセンター。
荒尾市民を初めてして多くの鳥フアンの活動拠点。
ここに集まる全国の鳥フアンの人達、
そして南の島からやってきて荒尾の干潟で羽を休める鳥たち、
其々にそれぞれの思いで(人や鳥)、建物の完成を見守っていることでしょう。
荒尾干潟からの発信拠点、一日も早い完成が待たれますね。
どんこさんにとっては かねてからの念願
いよいよ始まったんですね。
まずは地下構造物の撤去工事 これが【大変】なんですね~
>(とさつ)された動物たちの獣魂碑です。
食肉センターだったんですね。お仕事としてされてた方は
当時は気が休まったことでしょうね。
ビジターセンター ・・・私 石橋探訪のついでに
見学に行きますよ~
場跡地だったのですね。
大変な工事が始まりましたね。
された動物達の獣魂碑、こんな碑が建っていたんですね。
鳥ファンならずとも皆さん待っている事でしょう。
早い完成が待たれますね。
市民参加のワークショップを積み重ねた成果が
建物にも生かされていくのではないかと
大いに期待しているところです。
きょう海岸へ行ってみたら
春の渡り鳥たちが1000羽ほど来ていましたよ。
人も鳥も一体となって喜んでいるみたいです。
センバツ高校野球、福岡勢は
2校とも甲子園から姿を消してしまいましたね。
やっぱり上には上がいるものですね。
地下構造物の撤去さぎょうは大変なようでした。
本当は1メートルくらい盛土してほしいのですが・・・。
獣魂碑はどう処理されたのでしょうか。
少年期以降良く見てきたされた牛馬豚などのためどこかに移築されればいいと思っていますが・・・。
石橋探訪の折には是非ビジターセンターへもお立ち寄りください。
中身は同じでしたよ。
まあ近隣の食を支えてきたのですから
動物鯛の命を頂いたことに感謝しなければなりません。
世界遺産に登録された当市の万田坑も
熊本地震以降、来訪者が激減しているようです。
リピーターが増える魅力ある施設にしたいものです。
つながるのでしょう。素晴らしいことです。
何にもなく 鳥だけがいた荒尾干潟もより魅力ある
ところになるでしょうね。
地震の影響は万田坑にもあるとは驚きです。
盛り土もして高床式になるようです。
海に面した道路側には松並木があるので
高床式にしても展望は期待できないようですが・・・。
万田坑、宮崎兄弟生家も「熊本地震」というだけで敬遠されるのでしょうかね。
で、受験勉強に疲れると気分転換に南荒尾や長洲にサイクリングに行きました。
市屋の近くの浜辺には孫文の旧宅だか別荘だかがあったのを記憶しています。
今でも時々思い出しては荒尾や大牟田のネット記事を見ていて、この記事が目に留まったので懐かしくなって投稿させて頂きました。
この食肉センターというのは 当時、場と呼ばれていたと記憶していますが、すると、みんなはすぐ隣の海水浴場で泳いでいたんですねえ・・・💦
あの頃にはこの辺の松林の中に掘立小屋を建てて住んでいる人たちが結構いましたね。
子供もいました。 あの人たちは何だったんでしょうね・・・そして今はどこでどうして暮らしておられるのだろうか。
市屋のあの建物は「孫文記念館」でした。
訳あって取り壊されてしまいましたが
今も残念がる人は多いですよ。
私の中学時代の英語の宮崎豊子先生は
かつて建物に住んでいらっしゃって、何回かお邪魔したことがあります。
宮崎滔天も身内だと聞いています。
そうです、以前は場と言っていましたね。
荒尾海水浴場がすぐ傍にありました。
<この辺の松林の中に掘立小屋を建てて住んでいる人たちが結構いましたね。
場付近には掘立小屋に住んでいる人はいませんでしたよ。
貝殻で白灰を焼く小屋は数軒ありましたが、人は住んでいませんでした。
場所を勘違いされているのだと思いますが・・・。
私の記憶は戦前の昭和18年以降なので念のため・・・。