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花鳥風月・・・気ままな写真日記

ようこそ、どんこの小部屋へ。ゆっくりくつろいでください。
日常を出来得れば自然と融合したいと思っています。
 

早春の岩本橋

2017-03-26 | 郷土 荒尾
 平成29年3月26日(日)

 ぶらりと岩本橋へ出かけました。市の北東部にある関川に架かる石橋です。



 家族連れが来ていました。



 東には小岱山が見えます。麓には数件の小岱(小代)焼の窯元があります。



 きれいな眼鏡橋です。



 熊本地震の影響も受けませんでした。







 東屋も設置されています。





 川面に影が映り、円形に見えます。   



 小さな堰でしょうか。



 西の方を眺めます。澄み切った日にはグリーンランドの観覧車が見えるのですが・・・。

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こくんぞさん(虚空蔵祭)・・・荒尾市四山(よつやま)神社

2017-03-02 | 郷土 荒尾
 平成29年3月2日(木)

 春の大祭が2月13日です。「商売繁盛、縁結び、交通安全の神様として信仰を集め、福銭(5円玉効果)を借り受け、 次の大祭で倍返しをする習わしがあります。」秋の大祭は9月13日です。
 以前に比べ、出店もすっかり少なくなりました。



 お馴染みの屋台です。午後3時を過ぎて客足も少なくなっていました。



 右下の「はじき猿」などは一時途絶えていましたが、今は市内の福祉施設で復活され店頭に並んでいます。



 人気者のお面売り場です。

 

 杖が無料で貸し出されています。



 傾斜は急ではありませんがやっぱり「きつかぁ~」(きつい)。



 福銭・5円玉の鳥居が設けられていました。



  福銭・5円玉を借り受けてきました。9月には倍以上をお返しにまいります。



 「浦安の舞」を舞い終わった巫女さんたちです。



 境内のざわめき・・・。



 大宰の餅の屋台もありました。



 日脚が伸びてきました。ベンチでは老夫婦が休んでいました。



 3月になりました。震災前の熊本城です。早期の復興でまたこのような雄姿が見られるようにを願っています。

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早春の浦川沿い

2017-02-03 | 郷土 荒尾
 平成29年2月3日(金)

 きょうは節分、暦の上ではもうあすは立春です。浦川に架かる「くわいだばし」(烏井田橋)から市の北東の方角を眺めてみました。右端の山は隣県・福岡の三池山です。



 冬の浦川はゆったりと流れています。 



 荒尾市からお隣の長洲町の河口から有明海へと注ぐ2級河川です。



 この西側にある高台の家の鯉のぼりを当時小学6年生だった孫と一緒に写したことがあります。



 もう7年も前の4月のことです。



 何の草でしょうか。小さな芽がいっぱい広がっていました。



 トラクターで冬季の荒起こしがなされていました。



 こうして数回耕され、田植えに備えます。上空にはもうヒバリの鳴き声が聞こえていました。



 「しあんばし」(思案橋)です。清里小学校の子どもたちがこの橋を渡り、登下校をしています。



 2月のポストカードです。去年の2月、地震前の熊本城・梅園です。天守閣がそびえていました。(コメント欄は今回も閉じています。お越しいただきありがとうございました。こちらからのコメントも失礼していて、申し訳ございません。)

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荒尾市営球場周辺を歩く・・・

2017-01-25 | 郷土 荒尾
 平成29年1月25日(水)

 市の中央部にある野球場です。ここには前ジャイアンツ監督の原辰徳さんがまだ東海大在学中、沖縄キャンプの帰りに父親の貢監督、ナイン一行で訪れ、中学生を指導したこともあります。



 桜の時期には花見も出来ます。



 この春高校を卒業する孫のチョロ2も小学3年から中学3年まで7年間にわたりお世話になった球場です。



 その7年間をちょっと振り返ってみました。



 高校3年間も野球部で頑張りました。身長も180センチ近くに伸びています。



 球場の外野スタンド入口のケヤキの大木です。



 グリーンランドがすぐ近くです。





 近くにある「奈乃林」(なのりん)に久しぶりに寄ってみました。



 週替わりランチをいただきました。 



 いつもながら「ご馳走様でした」。(コメント欄はお休みです。お越しいただきありがとうございました。) 

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車いすラグビー・乗松聖矢選手、リオパラリンピック出場報告会

2016-10-26 | 郷土 荒尾
 平成28年10月26日(水)

 去る21日(金)荒尾市役所でリオパラリンピック・車いすラグビーで銅メダルに輝いた乗松聖矢選手の報告会がありました。関係者多数が出席、マスコミもこぞって駆けつけました。



 ご両親もやや緊張気味です。



 拍手に迎えられ、乗松聖矢選手の入場です。





 本人からオーストラリア、アメリカに次いで3位入賞の結果の報告がありました。荒尾市出身者がオリンピック・パラリンピックでメダルを獲得したのは乗松聖矢選手が初めての快挙です。



 山下荒尾市長の祝辞。



 来賓祝辞。左上・小田市議会議長。右上・聖也さんの母校・高橋有明高専校長。右下・乗松聖矢選手の元勤務先社長。心からのお祝いの言葉でした。



 聖矢選手の体験談報告です。本人は次の東京大会では体操の内村選手のように活躍したいと抱負を語り、喝采を浴びていました。



 この間、会場では銅メダルや賞状などが回覧されました。聖矢選手は「どうぞメダルにも触ってください。」と言ってくれました。写真右下、メダルを下げているのは聖矢選手のお父さんの同級生・Ueさんです。 



 山下市長から表彰状と記念品(小代焼)が贈られました。



 ご両親からもひと言ずつ感謝の言葉が述べられました。



 万歳三唱で締めくくられました。とてもいい雰囲気の会でした。欲を言えばもっと広く市民に呼びかけられ、文化センターなどの広い会場で行ってほしかったです。



【緊急連絡・乗松聖矢選手が本日(26/火)日本シリーズ・日ハムー広島第4戦の始球式に登場します。当荒尾市出身です。是非ご覧下さい。】
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宮崎兄弟資料館・万田坑を見学・・・里帰りした孫と

2016-09-20 | 郷土 荒尾
 平成28年9月20日(火)

 首都圏に住む長女の長男が盆休みに青春切符を利用して山陰旅行のついでに荒尾にやってきました。社会人2年生です。まだ行ったことがない「宮崎兄弟資料館」へ案内しました。左手が資料館、正面の茅葺きの家が宮崎兄弟の生家です。



 お隣のKさんが館員として勤務しています。丁寧にガイドしてもらいました。



 宮崎兄弟の滔天(とうてん)は辛亥革命の孫文に力を貸したことでも知られています。



 一時期は桃中軒牛右ェ門と名乗り、浪花節語りとして全国を行脚していました。



 孫文直筆の書も展示されています。



 NHK朝ドラ「花子とアン」では後に滔天の長男・龍介と世紀の駆け落ちをして話題になった蓮子こと白蓮が登場しました。仲間由紀恵が扮していました。テレビの影響はものすごく一時は大勢の見学者でいっぱいでしたが、あの熊本地震以降激減しているとのことです。



 生家には孫文と向き合う滔天の像が対座しています。



 次に世界遺産になった万田坑へ向かいます。車では10分そこそこで行くことが出来ます。



 今も残る第二竪坑櫓です。主に坑夫たちを坑内へ運搬するための櫓です。



 山の神の前でボランティアガイドの説明を聞きます。ここもまた熊本地震以降、見学者が昨年同期の十分の一に減少していると関係者が嘆いていました。 



 このケージに、いっぺんに25人を乗せていました。



 今は地下は埋められています。



 管理室はそのままの設備が残っています。



 万田坑ステーションです。ここで入場券を求めますが、万田坑模型の展示やビデオのガイド、物産品の販売も行われています。孫は帰りは飛行機でした。



 【心配していた台風16号は多少の風雨はありましたが、こちらは被害もなく無事でした。被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げます。また進路に当たる皆さま、ご用心ください。】

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海達公子生誕100年記念祭・・・荒尾が生んだ夭折の天才少女詩人 <ブログ11周年記念記事>

2016-09-02 | 郷土 荒尾
 平成28年9月2日(金)

 きょうでブログを始めてから11年になります。多くの方々にお付き合いいただいて今日までたどり着きました。2日現在の閲覧数が2,423,786,訪問者数が596,292と信じられない数に上っています。ありがたい限りです。もうしばらくは頑張ってまいりますので、これからもよろしくお願いいたします。

先月末、荒尾総合文化センターで催されました。海達公子(かいたつきみこ)は金子みすゞに優るとも劣らぬ才女として北原白秋や與田準一などから激賞されていましたが、まだ認知度は地元でも深くはありません。それでも松山会長を中心にした「海達公子顕彰会」の地道な活動により30基に亘る詩碑の建立などで徐々にその名が知られるようになりました。
 このブログでも度々紹介しているのでご記憶の方もいらっしゃることでしょう。



 大ホール前の広場・ホワイエでは公子の遺品など貴重な資料が展示されました。撮影禁止でない配慮も嬉しいことでした。





 荒尾の祭・荒炎祭で使われて大きな行灯も展示されていました。



 開会行事の後、公子の母校である万田小学校3年生による海達公子紹介と詩の朗読がありました。







 「大正ロマン文学の魅力」と題するパネルディスカッション:コーディネーター・猪飼隆明氏(大阪大名誉教授)。パネリストは左から順に大橋鉄雄氏(北原白秋記念館館長)、太田黒初枝氏(與田準一記念館運営ボランティア代表)、草場陸弘氏(金子みすゞ顕彰会事務局長)、松山厚志氏(海達公子顕彰会代表理事)です。
 皆さん、それぞれの立場から海達公子との関連で、提言等をされました。ふるさとを「独特の“光”“におい”“音と声”」(猪飼氏)で表現していった海達公子を長期的にどう生かしていくかが今後の私たちの課題でしょう。



 最後は「童謡コンサート」。大庭照子さん、そがみまこさんの「ゆりかごのうた」や「この道」などが披露、DOYO組と共に全15曲が会場を魅了しました。



 DOYO組の皆さんです。 



 締めくくりは主催者の市長など全員参加で「故郷」を斉唱しフィナーレとなりました。



 また、来る10月16日(日)には私が実行委員長を仰せつかっている創作ステージでも海達公子を取り上げ上演します。今年で8回目になるふるさと詩集(うたあつめ)です。荒尾総合文化センター開館30周年記念で熊本地震復興支援も兼ねています。ご来場をお待ちしています。



 8月23日、旧荒尾海水浴場の松林の中、荒尾干潟が間近に見える場所に海達公子詩碑30号を公子の同級生・棚橋芳子さんが建立されました。身内の方だけでひっそりと除幕式が行われたと言うことです。



 公子も同級生の厚い友情に涙していることでしょう。



 9月になりました。皆さん、夏の疲れが出ないようお互い気をつけましょう。

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マジャク(アナジャコ)試食会

2016-08-27 | 郷土 荒尾
 平成28年8月27日(土)

 「マジャク試食会」案内のメールを市環境保全課のNさんから貰ったので、“こりゃいろんなマジャク料理が食べられるとばい”と喜び勇んで出かけたら、何と調理実習を兼ねての試食会でした。安尾さんも「出来あいばすぐに食わるっと思うて、楽しみに来た。」と思いは同じでした(笑)。



 定員は20名でしたがそれを超える参加者でした。マジャク料理のレパートリーを拡大し、もっとマジャクの魅力を内外に広めようとの目的です。地元の食生活改善推進員の3名の方が協力してくれました。
 実習する料理は地元特産のマジャク(アナジャコ)を使った①パエリア ②マジャドッグ ③酢の物 ④マジャクカレーの4種類です。



 先ず、「パエリア」。材料です。レシピは大ざっぱに紹介します。足りないところは想像でお楽しみ下さい。



 マジャクは洗って余分な箇所を取り除きます。





 きれいになりました。



 フライパンでタマネギを炒め、鶏肉も炒め、パブリカ、ピーマンで彩りを添え、アサリ、むき身のマジャクを投入、塩、胡椒、アサリが開くまでふたをして炒めます。



 はい、出来上がり!



 次はマジャクを使ったホットドッグです。これはひとり1個を食べられました。



 天ぷらにしたマジャクを野菜とサンドします。子どもにたちにも喜ばれそうです。



 酢の物。「お酒の肴にもなるばい。」と好評でした。



 最後はマジャクを使ったカレーライス。天ぷらにしたマジャクを丸ごと添えます。甘辛、辛口、荒尾梨カレー(中辛)の3種類を作りました。
 


 さあ、いよいよ試食会!調理する楽しみもありますが、やはり食べるのは最高です。地元の荒尾・岱志高校の生徒さん、家庭科の先生、理数科のM先生も参加していました。



 和気藹々のうちの試食会が進み、最後はアンケートを書いて、締めくくりの挨拶があり終了しました。また次回も計画されているようです。会場はグリーンランド近くの市の施設「みどり蒼生館」でした。



あす28日(日)荒尾出身のシンガソングライター・関島秀樹の“熊本地震復興応援《誓春》コンサート”が荒尾総合文化センターで行われます。もちろん私も出かけます。どうぞお出かけください。

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区の盆踊り

2016-08-21 | 郷土 荒尾
 平成28年8月21日(日)

 8月14日の夜、区の公民館広場で盆踊りがありました。



 広場には結構人が集まっていました。
 


 ゴム風船すくいなどもあります。



 「炭坑節」「荒尾音頭」などの曲に合わせて踊りの輪が出来ます。



 以前は子供会があって踊りの中心は子どもたちでしたが、今は子供会も解散してなくなっています。





 公民館には集まった人に配られる参加賞がずらり並んでいます。



 ラムネ飲み競争。



 親たちが声援を送っています。



 最後に抽選会があります。自転車、電子レンジ、扇風機など豪華賞品でした。残念ながら私は当たりませんでした。知り合いのTさんの息子さんが自転車を当て、「来年も盆踊りには参加したいですね。」とご機嫌でした。
 【お知らせ:きょう(21日)0時15分・「NHKのど自慢」は荒尾市からの生放送です。知人が“帰らんちゃよか”を唄います。お時間のあるお方は是非ご覧下さい。】

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賀庭寺(がていじ)<熊本県荒尾市>散策

2016-08-09 | 郷土 荒尾
 平成28年8月9日(火)

 荒尾市民にもあまり知られていない賀庭寺に久しぶりに行ってきました。その昔、「広大な寺域に7堂伽藍を備え、薬師三尊と十二神将が安置され、各地から集まった学僧や修験者が44もの坊舎で学んだといわれています。」と言われている所です。



 すぐそばを小さな硯川が流れていて、これまた名もない小さな石橋が架かっています。



 正門のそばには「熊本県指定重要文化財」の標柱が立っています。



 地蔵菩薩が出迎えてくれます。



 境内は他に人もなく深閑としています。



 色々な古塔群をしばご覧ください。 











 表に回ると南向きに猿田彦碑が建っています。説明版も分かりやすいですが子どもたちのためにふりがなも欲しいものです。
 


 こちらは宝篋印塔、手前に花も供えてありました。



 薬師堂は老朽化していましたが、最近、地元の建設業者が無償で修理、寄進しました。



 薬師堂内の新しい掲示版です。



 その昔、壮大な敷地だったという面影はありませんが古塔群がわずかにその片鱗を伺わせています。

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こどもの日の岩本橋・・・荒尾市

2016-05-11 | 郷土 荒尾
 平成28年5月11日(水)

 快晴の5日にぶらりと市内北東部の県境に位置する岩本橋を見にいきました。こいのぼりが川を挟んで泳ぎ、対岸には幟が幾竿も立っていました。



 いずれも不要になったものが拠出されたものです。「平井校区元気づくり委員会」の手により、1ヶ月ほど掲げられています。



 こいのぼりがなびく向こうの川岸には子どもたちの元気な声が溢れています。





 もう弁当開きをしている家族もいました。



 5月の風は爽やかです。



 子どものいる姿はいいですね。



 水温む季節。



 子どもの天国といった感じです。



 石橋眼鏡橋の岩本橋は地味ながら荒尾の誇りです。



 未来へ受け継ぎたい橋です。 







 橋の上はこんなになっています。移築されているため、向こうは行き止まりになっています。



 すっかり葉桜になっています。桜の時期もまたいい岩本橋です。

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海達公子の詩碑・・・荒尾市四山神社

2016-04-11 | 郷土 荒尾
 平成28年4月11日(月)

 市の北西部、大島川のそばから真北の四山神社のある「こんどさん」祭で知られる四ツ山が見えます。桜が満開でした。手前の広場は元荒尾第二中学校跡です。



 荒尾に縁のある天才少女・海達公子の詩碑が至る所に建っています。(がた=干潟、高さぁ=高いなあ)。大正5年(1916)生まれですから今年が生誕百年目です。



 四山神社の階段脇から小径にかけて公子の詩碑は目を楽しませてくれます。一般社団法人・海達公子顕彰会が組織され、海達公子文学散歩道も整備されています。現在詩碑はJR荒尾駅を発着点として東コース9基、西コース19基、計28基建立されています。



 桜の花を愛でつつ詩碑を辿るのも楽しみです。



 短い詩ですが光景が目に浮かぶようです。



 雲海に浮かぶ雲仙普賢岳が見えます。



 公子はこういう小高い所から海を眺めていたのでしょう。



 詩碑は個人やグループ、団体等で寄贈したものもあります。これはあの関島秀樹さんが寄贈したものです。



 頂上にある神社。



 満開の桜の上に灯台が見えます。有明海を航行する船舶の守り神です。



 境内の西に広がる有明の海。



 第1号の詩碑。公子の出身校である故・松村校長の寄贈です。



 本人の筆跡です。先生は達筆でした。私事ですが私の表札は先生が現役の頃に書いていただきました。



 この日は地区のお祭りがあって折り詰めと榊を片手に帰る氏子さんの姿がありました。  



 帰りは北側の参道を下りました。 



 眼下の四ツ山町。公園の桜も満開です。



 今から登る家族連れもありました。



 かつて走っていた炭坑電車の停留所がまだ残っています。(黄色い枠内。)炭鉱夫(やまおとこ)たちの夢の跡です。【コメント欄はお休みです。いつもおいでいただき、ありがとうございます。】

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海辺を歩く:旧荒尾海水浴場を偲びつつ・・・。

2016-03-28 | 郷土 荒尾
 平成28年3月28日(月)

 3月もそろそろ終わりが近づきました。荒尾海岸の海辺のスケッチです。廃棄された漁船が放置されています。



 タコ壺、時期になると活躍するのでしょう。



 「荒尾市潮湯」、細々と営業され、お年寄りには人気です。



 潮湯と並んでいる旧福祉総合センター跡。今は廃墟となっています。



 ずうっと南へ行くと一部港があります。漁船の係留場所になっています。





 防波堤には「私の名まえをおぼえてください」の看板が見るも無惨な姿です。



 平成21年4月9日に設置され、7年ほど経っています・・・。鳥の写真は私、説明文は安尾さんでした。



 東側に見える南荒尾駅の跨線橋。左側が博多方面です。



 一部港からの出口。干潟が夕陽に光っています。



 砂が盛ってありました。何に使うのでしょう。



 旧荒尾海水浴場の入口。全盛期にはこの付近に夏場だけパチンコ屋やダンスホールが出店していました。電車が→熊本方面へ向かっています。南荒尾駅は乗降客で溢れ、帰りには積み残しも出るほどの賑わいでした。今、南荒尾駅は無人駅です。



 旧海水浴場の無料休憩所跡。軽く200人ほどは収容できる施設でした。跡地はしばらくはお年寄りのゲートボール場になっていましたが、もうゲームする人もいなくなり、荒れています。海水浴場が閉鎖されて久しい歳月が流れています。



 当時はこの防波堤もなく左側の松林から右へ白砂が広がり、界隈には海の家が建ち並び、それぞれ、かき氷、飲料水、軽食を販売し、貸しボートを何艘も持っていました。海水浴客で芋の子を洗うような盛況でした。



 往年の海水浴場風景です。(「有明小学校百周年記念誌」昭和51年刊より引用)



 上空に飛行船がゆったりと飛んでいました。



 【桜便り・1】わが家のソメイヨシノ。やっと数輪咲きました。(3月27日撮影)



 【お断り】コメント欄、閉じるのを忘れていました。この後、閉じさせていただきます。
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荒尾競馬今昔物語(その二・終編)

2016-03-04 | 郷土 荒尾
 平成28年3月4日(金)

 2月3日の(前編)に続き続編(後編)をお届けします。ここで入場料を払っていました。



 予想新聞も好評でファンはお気に入りの新聞を買ってから入場していました。



 競馬は廃止になりましたが全国の地方競馬共同発売所BAOO(バオー)が開設されて、根強いファンが連日駆けつけています。でも外は人の気配がしません。



 かつてのJRAの馬券売り場はシャッターが降りたままです。



 でも、ここ「BAOO」の前は俄然賑やかです。競馬廃止前と変わらぬ人出です。



 モニターテレビに映し出されるレースに釘付けです。



 競馬場は草ぼうぼう、中央、グリーンの部分は表彰台でした。



 中央スタンドに出てみました。新聞を持ったファンがひと休憩していました。「取れましたか?と聞くと「ぜーん全然!」と言う答えが跳ね返ってきました。 



 今から9年前の5月のレースです。 



 走馬燈のように思い出されます。



 スタンドもGWで満員でした。



 パドックの跡。かつての荒尾競馬の花形騎手たちのメモリアルが色も褪せずに残っていました。 



 賑わっていた食堂も1軒を残し閉鎖され、ご覧の通りです。 



 4年2ヶ月前、荒尾競馬最後の日の広場。食堂も賑わい、別れを惜しむ人々が押しかけました。



 まだ取り壊せないで残っている4基のうちの第4コーナーの見張り台が今も荒尾競馬の歴史を静かに見つめているようです。 

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荒尾競馬今昔物語(前編)

2016-02-03 | 郷土 荒尾
 平成28年2月3日(水)

 「日本最南端の海の見える競馬場」として親しまれていた荒尾競馬が廃止されたのは平成23年(2011年)の12月でした。あれからもう4年以上もなるのですね。馬場は残ってはいますがご覧のような有様です。



 ちょっと球面の画像で遊んでみました。



 厩舎や従業員が住んでいた宿舎は廃れ、草木に囲まれています。



 がらんとしたスタンドに見える人影は佐賀競馬を中心とした地方競馬の場外馬券を買いにきた人でしょうか。廃止後は「BAOO荒尾」として場外馬券売り場が開設され、結構売り場には人が集まっているようです。



 平成20年8月のパドックです。



 まさに海の見える競馬場でした。



 草競馬のようなのどかな風景でした。



 競馬場の中は畑や草地でダイサギなどが群れていました。上空を飛んでいるの天草エアラインのプロペラ機です。(2枚の合成写真です。)



 間もなくゴール!



 廃止が決まった平成23年12月1日、武豊騎手が荒尾競馬場に見えた時のパドックです。大勢の客でした。



 武豊騎手(ゼッケン8)もレースに参加、2着はご愛敬で万雷の拍手が湧きましたね。



 そしてトークショー。大勢の観客に囲まれました。何事も終わりを告げられると、人がどっと集まるものです。



 所属の女性騎手も最後のお別れです。当時の市長さんが惜別の言葉を贈りました。今、彼女たちはどうしているのでしょうか。



 テレビ局も押しかけてきて、各局が競って取材、思い出の番組を競演しました。続編も準備中です。お楽しみいただければ幸いです。

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