もとポッポやの写真とつぶやき

うつ病と闘うカメラマン。現在過去撮影した鉄道写真を中心にその他写真をアップしています。

高齢者と医療と責任

2018-09-21 09:41:27 | 鉄道写真(その他路線)


撮影、土崎~秋田港間、2018.9.12

遅ればせながらこの度の北海道地震他台風の被害を受けた皆様へ心からお見舞い申し上げますm(_ _)m(自分から何かできればいいのですが…)

今回の写真は先日近所を散歩した時の1コマ。当初臨海線撮影を目的に行ったものの、この災害があるのか不況なのか真昼の便までウヤJRFならばOKだろうと思い、秋田臨港線らしくない場所で秋の雰囲気を出してみました。当日の気温は↘↗↘↗…1時間単位…具合が悪い(>_<)

さて本題。
母が以前からかかっている(うちの家庭医)病院の医師に不信感を抱いてしまい、私自身も治療方針に疑問を感じていました。
そこで、ケアマネを変えたのを機に医師も変えようということで妹と母と私で協議し、近所の割と近い(車5分)「老舗」の病院へ行ってみました、が、が、しかし、セカンドオピニオンで意見を聞きに行き、あわよくばその病院にかかろうと思っていた。ところが、対応した医師は「副院長」。役職はどうでもいい、ただ、母・私に対する態度が酷い!初めからここでは受け付けないという態度でスタート。

母がこれまでの(心臓病(寛解)、高血圧(高→境界)、第一腰椎圧迫骨折(痛み、続発なし)、下肢のむくみ(結構酷い))経緯を話すと、「今通院している医師は優秀な医師でわかる。間違った治療はしていない」と断言!
それから「私が(その医師)治療でこねくってもいいが、年齢を考えればセカンドオピニオンできた患者の9割が悪くなっている」。「私にあなたを(私の母)若返らせろと言っているようなもの」。「40年前ならこのような歩行器(シルバーカーより立派なもの)は無いのだからあんたは完全に寝たきりだ」。意図することはわからんでもないが、そういう「古い」考え方はどうかと私は思ったのだが…。

併せて、「その状態で外に出て危険ではないか?」と私に質問!「そりゃあ危険である」と返答。しかし、この医師及び現主治医も「家から出すな、トイレとベットだけ歩かせろ」というのはどうなのだろうか?デイサービスの現看護師、介護士も歩く訓練は必要!との意見を述べると、「そいつらは医療関係者か?」という始末…。私にも「お前何者だ?」と言われたのにもキレたが…。(こらえた)

ようするに、母が転んで責任を誰が取るのかということまで…。しかし、どんなに寝かせていたとしても、家の中だけでも転ぶ時は必ずある。それまでは、せっかく歩けるのだから筋肉をつけさせて「人間らしい生活」をさせたいのが家族というもの。転んでからのリスクは我々が背負っているが、医師は責任を取りたくないから寝かせというのは、「治療方針」と合わないから相談に来ているのに、しかも「下肢のむくみ」も診察せずにである!

今、健康寿命を延ばす運動が盛ん。
こんなんでは、介護殺人、私みたいに介護疲労・破たんなどが起きてしまう。確かに客観的にみれば、「医師も人間だから」人を選ぶ(やってはいけないと思うが)、機嫌が悪いこともある。(これは重々わかるが、お前(この医師)が言うか)そういうことを差し引いても「信頼関係」が成り立たなければ医療もうまくいかないそれが人間社会なのにどうも始末が悪い
ただ、治療方針が「医師=患者(家族)」ではないのでは、それどころの話ではないと思うのだが!皆さんはどう思いますが?ちなみに新しいケアマネさんも同じような経験をしていました。

何をしていてもリスクは伴う。しかし、「高齢者だからと、若者だからと差別していいのだろうか?」
そして、じゅあ「何をやっても無理とさじを投げる」のは簡単だが、「1%でも良くなる可能性がある」のであれば、挑戦してはどうか?私自身はそのつもりで生きている。「できない理由はごまんと並べて論じなければ(言い訳)いけない。これほど難しいことは無い。対して、僅かな可能性があって挑戦する方が楽だと」私の尊敬する、旧国鉄車両設計技師長島秀雄氏(新幹線の父)の談話である。

極端と言えばそうかもしれないが個人的にはこの考え方が良い方向だと思うのですが…。いつからこの日本は「無責任」になったのだろうか?私も頑張りすぎたからうつ病になってしまったが、可能性を潰して安全パイだけを選んで、差別して…医療が台無しになっては元も子もないと思いますが…。赤ひげ先生というのは、あるいは昼夜走り回る町医者、離島の医者というのは平成の世の中(そろそろ終わり)には存在しないのであろうか?

長くなりましたが、私の体験から現在の高齢者医療について述べてみました。嫌な方は写真だけご覧ください。