もとポッポやの写真とつぶやき

うつ病と闘うカメラマン。現在過去撮影した鉄道写真を中心にその他写真をアップしています。

あれから20年…

2017-03-23 16:22:13 | 鉄道写真(五能線)


撮影、八森~東八森間、2017.3.15

画像は言わずと知れた、八の字山の下を行く40。五能線に通いだしてかなりたちますが、前回も記述したとおり秋田県側は撮影回数が少ないです。その中でもお気に入りは鳥形付近なのですがこの場所はいつも横目で通過していました。(結構各方面で発表されていたので)
しかし、やはり「歯抜け」は嫌なので撮影することに。望遠で引っ張っていますが、気温が高かったせいか拡大すると40は「蜃気楼状態」でした。

さて、昨日秋田新幹線(正式には秋田新在直通特急)が開業して20年を迎えました。当時私はE3検修担当(支社勤務)。3010M(一番列車)ではなく、「8022M~8027M~9024M~8029Mの運転台に故障対応で添乗」しておりました。4本のうち3本は無事何事もなく走りました。
ところが、最後のE3は盛岡駅にて分割最中に運転士からパイロットランプが点かず発車できない(すべて準備が整うと点灯しノッチ(アクセル)が入る)と無線連絡配電盤を調べると、「電制解放」のブレーカーが落ちているこれは200系側で連結し「制御電源がオーバーと検知した時電源を結ばない」(DC100V)というもの。試運転の時から200系側が過敏な編成がいた(同じ改造だけど個体差があった)ため時々現象が起こっていました。

なので、「頭が真っ白になっている車掌さん」に指示、復帰この間約5分。秋田到着は定刻。無事自分の役目を果たしました

あれから20年、E3からE6に代り、併結相手もE2,200系、E5,H5に代り、275km/h→320km/hになりました。よく頑張れたなあとしみじみ…。でも一番思い出に残っているのは、試運転時、盛岡で初めて「200系と連結する瞬間と北上まで運転台から眺めていたいつもとは違う光景です。(無論運転台!)」業界にいても新開業に立ち会う?機会は中々ありません!鉄道マン冥利に尽きるなあと…。あの日の光景が人生で一番の宝物かな?
その一方、東京が近くなったため「ストロー現象」を招いたのには責任を感じた一日でした。