【東電HPより】
東京電力のHP(ホームページ)に地震対策と津波対策のページがあります。その中で、「津波への対策」もあり、「過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価し、重要施設の安全性を確認しています。また、発電所敷地の高さに余裕を持たせるなどの様々な安全対策を講じています。」とありますが、過去最大の津波を上回るという想定のレベルが甘かったので、 . . . 本文を読む
東京電力でも「放射線と放射能」の説明のページがありますが、今日、独立行政法人 放射線医学総合研究所から、放射線影響の程度と、身の回りの放射線の量とを比較した見易い「放射線被ばく早見図」が公表されました。【東京電力の説明から】【放射線医学研究所より】 . . . 本文を読む
【DIGITALGLOBEより3月18日の福島第一原発】
東日本大震災で地震と津波で壊滅的な被害を受けた上に、東京電力福島第1原発の事故で混乱が続いています。原子炉・使用済み燃料の熱収支の安定や、放射性物質の封じ込めに向けた懸命の努力がなされている最中ですが、その中で、福島第一原発1号機は、東電として初めての原子力発電所として1971年3月26日に営業運転を開始し運転開始から40年を迎える所だ . . . 本文を読む
東京電力へのHPがアクセス集中で閲覧不能になっています。14日について、計画停電のグループとその対象地域の基本情報は以下のようです。(見易くしました)【各グループの実施時間帯(再)】
第1グループ 午前6時20分~午前10時の時間帯のうち3時間程度、午後4時50分~午後8時半の時間帯のうち3時間程度
第2グループ 午前9時20分~午後1時の時間帯のうち3時間程度、午後6時20分~午後10時 . . . 本文を読む
若い頃から比べて老いぼれてくると、嗜好の変化は洋食(パン・牛乳・肉)から和食(ごはん・みそ汁・魚)、量より美しさ、などはずいぶん前から気づいていましたが、香りや食感に対する変化も大きいと自覚的に気づいたのは最近です。 三つ葉・パセリ・花紫蘇・エゴマ・大葉・菜の花・タラノメ・ワサビ・ヨモギ・春菊・ミョウガ・ウド・山椒・生姜・七味・・・などの香りや食感は、若い頃は避けていたり、何も興味の無かったので . . . 本文を読む
金星探査機「あかつき」は、金星表面からの距離300kmから8万kmまで変化する楕円軌道に投入されました。「はやぶさ」に続いて日本の技術は素晴らしい。 サンデー毎日である私の特権で、宇宙教育テレビのライブ放送を見続けましたが、8時49分に逆噴射した後、10時には成功の確認ができないままライブ放送が終わりました。その後も管制センターの画像だけのライブが続きました。変哲も無い画面で待ち続け、管制センタ . . . 本文を読む
気になっていました「羆撃ち」(KUMAUCHI)久保俊治著を読みました。著者は小樽市生まれで、現在「国後(くなしり)島」に近い道東の標津(しべつ)町に在住のプロハンター・牧場主で私と同世代の方です。 一旦羆を追いはじめると、ツェルト・シュラフカバー・セーターだけで3日間も冬季山中でビバークしたり、巨大な羆に立ち向かって、1週間も山にこもって足跡を追跡する執念はすごいものです。それに、研ぎ澄まされ . . . 本文を読む
本拠地にA4用封筒で厚さ2cmくらいの郵便物を送ろうとして、何で送るのが安くなるんだろうと調べると、ありがたい事に「送料の虎」という便利なサイトが見つかりました。 メール便の料金比較でクロネコメール便で160円で送れるのが判りましたが、郵便局で送るとずいぶん高くつくんですね。世間知らずでした。
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年初からの敗退であったけれど、今年の大きなテーマは日高です。暫く北海道に住もうと思います。厳冬期の北海道はどんなのだろう。胸が膨らみます。無理せず、一歩一歩着実に進みたいと思います。 まだ、会の行事もあったりで直ぐ行ける状態ではありませんが、PCの故障も目処がつき、ティット号の中途半端な改造も少しは何とかしてから出かけたいと思います。 . . . 本文を読む
長らくブログに手がつかなかった。いい加減に書き始めたい。 マナスルから帰ってから、会での報告会・報告書、連盟とのやりとりで忙殺されてきた中で、無謀にも岩トレ・北岳バットレス、沢トレ・赤木沢、ハチノス谷、日高偵察など、今までできなかった山行に性急にのめり込み過ぎて来た。 生活も1年程放ったらかしていたので、スッチャカ・メッチャカで早急にしなければならない事が多い。マナスルから帰ってからの道具やデー . . . 本文を読む
子供の頃から、雪山の写真、特にヒマラヤの写真が好きで写真集などを大切に持っていました。しかし、小学生の頃に病気で1学年落とし、中学時代まで一切運動ができませんでした。大学時代に、念願の山岳同好会に入り山行ができるようになりました。 しかし、大勢の人と同じように就職・結婚で山を離れ、子育てが一段落して安定した50歳頃からメタボ解消も兼ねて山を再開しました。その間、ヒマラヤへの 憧れだけは持ち続けて . . . 本文を読む