明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日の肥え桶転がして死んでいる三島由紀夫は今見ると良くやったな、と旧くからの友人からメールが着たが、なんのことはない。『仮面の告白』で三島は書いている。『坂を下りて來たのは一人の若者だつた。肥桶を前後に荷ひ、汚れた手拭で鉢巻をし、血色のよい美しい頬と輝く目をもち、足で重みを踏みわけながら坂を下りて來た。それは―汚穢屋―糞尿汲取人―であつた。彼は地下足袋を穿き、紺の股引きを穿いてゐた。五歳の私は異常な注視でこの姿を見た。』『私はこの世にひりつくやうな或る種の欲望があるのを豫感した。汚れた若者の姿を見上げながら、『私が彼になりたい』といふ欲求、『私が彼でありたい』という欲求が私をしめつけた。』了解しました。お望みどおりいたしましょう。ただそれだけの話である。 『希臘の兵士や、アラビヤの白人奴隷や、蛮族の王子や、ホテルのエレヴェーター・ボオイや、給仕や、与太者や、士官や、サーカスの若者などが、私の空想の凶器で殺戮された。私は愛する方法を知らないので誤って愛する者を殺してしまふ・あの蛮族の劫掠者のやうであった。地に倒れてまだぴくぴく動いてゐる彼らの唇に私は接吻した。』『そこで私はいつになっても、理智に犯されぬ肉の所有者、つまり与太者・水夫・兵士・漁夫などを、彼らと言葉を交はさないやうに要心しながら、熱烈な冷淡さで、遠くはなれてしげしげと見てゐる他はなかつた。』 後に文学などとは縁がない、そんな若者に囲まれ嬉々として死んでいった三島である。仮面と銘打ってはいるものの、『仮面の告白』ですでに全部書いてしまっている。果たして三島以外の方法で、若者に囲まれ、腹を切り介錯までしてもらい死ぬ方法は他にあるだろうか?“君それをいっちゃお終いだぞガハハハ笑” 三島が最後にやりたかった、篠山紀信に撮らせていた写真集『男の死』は、まさに与太者・水夫・兵士・漁夫などに扮して死んでいる自分であった。私はその存在を知らず石塚版『男の死』考えたが。知った時ビンゴ!と思った。三島は死後、あらゆる人達がその写真集を観ている様子を想像して恍惚としたに違いない。奥さんの反対にあい出版されることはなかった。 『仮面の告白』は私からすればイメージの宝庫、ご馳走がうずたかく溢れ返っているように見えた。当時実現しなかった『唐獅子牡丹』は実現したし、イメージしただけで終わったのはサーカスの若者の転落死と、生前週刊誌の企画で“私のなりたいもの”で三島は白バイ警官に扮していたので、道端で横転し、縁石かなにかに激突死しているところであった。ちなみに私のなりたいもの、で植村直己が扮したのはコジキであった。

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtub


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