小学4年で読んだ一休禅師は、表紙だったかに曽我蛇足の横目でこちらを見ている一休の肖像が載っていた。この原画には、一休直筆の讃が書かれているから、横目でジロリの画は、その表情含めてモデルとなった本人のお墨付きということになる。一休は蛇足に絵を習い、蛇足は一休に禅を習った。 伝記には、竹竿に髑髏の一休の挿絵があったか、私の空想かは半々だが、いずれにしても小四の私の頭の中にはあったのは間違いはない。小説などを読んでいると、その間ずっと映像が流れ続けるのだが、それは私だけの現象だと知って驚いたのは中学の休み時間であった。そうならないのに読書は面白いのか? それはともかく、小学四年の私の頭の中にあった一休禅師が今目の前にある。そう思うと、私の写真を撮るという行為は、他の人とは動機も方法も大分違い、外側にレンズを向けず眉間にレンズを当てる念写が理想というのはホントだが、私の念写は念ずると写すの間に作るがあるから時間がかかる。