図書館で着物の着付けや帯、用語辞典など違和感を漂わせながら並べている。家庭科が2であった私がなんでこんなことを、と思わないではないが。昔個展会場で、私の作ったピアノの鍵盤の数を女の子に数えられてしまったことは書いたが、せめて鍵盤の数くらい調べておこう、というわけである。それにしても約束事が多く、チンプンカンプンである。ところが以前被写体となってくれた女性が呉服屋に勤めていることを思い出した。深川江戸資料館の個展でも和服で来てくれた。そこでさっそくメールにて質問。現在の常識では無理があるようだが、なにしろ伊東深水がそう描いている。であればOKである。私は三島由紀夫に対するオマージュ男の死、として様々描いたが、それには未発表ではあるが、三島本人が魚屋になって魚をぶちまけ腹に出刃包丁を刺して死んでいる。ということまで演じて撮影させた、という事実が後ろ盾となっている。 ヤフオクで落札した物が届く。なんだか重い。開けると想像していたのと良い意味で違っている物がでてきた。明治に入ればすでにこんな物を使っている人は少なかったであろう。出品者もいっていたが、江戸期の物である可能性は高い。そこまで古い必要はなかったが、受け継いだ物を大切にする、新製品嫌いの女。ということにしよう。 図書館のトイレで手を洗っていてアイデイア浮かぶ。私の場合、どうしようかああしようかやっていて思いつく、ということはほとんどない。だいたい棚からボタ餅のように降ってくる。こんな時、いかにも思いついた、という顔をすると人にいわれたことがあるが、前に鏡があったので確認した。
石塚公昭HP
『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回