明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



あるカ所を作って、2カ所目になり、要領も判ってくると、最初の一カ所目をやり直したくなるのをこらえる。それではきりがない。これは昨日今日のことであるが、思えば長い間ずっとこんな調子でやって来たわけである。 構造を含めた屋根を残して外装部分はおおよそ完成した。もっとも、ちゃんと計ってはいないが、このまま屋根を作ってしまうと出入り口から出ない可能性がある。苦手な工作も、開始当初を考えれば要領が判って来た。そしてまた思うのであろう。“人生も夏休みのアルバイトの如し、慣れた頃に終わる”。だがしかし、今回の夏休みはまだ終わらない。 石塚式ピクトリアリズムによる、浮世絵的逆遠近法の導入は、フオトシヨツプでの画像処理では、追いつかないことがわかった。そこであらかじめ逆遠近法で背景を作り、それを撮影したらどうか。その場合、効果的なのは直線を含む風景。要するに鈴木晴信的室内風景であろう。芭蕉翁には申し訳ないが、芭蕉庵の制作が工作が苦手な私の丁度良い練習となっている。 昭和30年代の下町某所では、しつこい人間は嫌われ、小学生が「男は諦めが肝腎」などといっていた。私もつい見栄を張ってしまうのだが、こと作ることになるとマムシにタコ足の如きしつこさである。グループ展に初の試みとして『ゲンセンカン主人』を出品して満足に至らず会期中に2度も作品を差し替え、あげく断念の失態を演じた。よって今回も勝算は薄いが、こんな馬鹿なことをしでかしているうちが華である



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