そもそもノコギリをまっすぐ扱えないようなぶきっちょが、すべて木で作ろうと思うのが間違いである。真っ直ぐな部分は模型用の角材を使い、後は粘土にボンドを混ぜて強化したもので作ることにした。志ん生の火焔太鼓もバルサ材や発砲スチロール製の撮影用であった。中にしこむ電球を含め、材料を買いに行く。 そういえば思い出すのは、子供の頃、お盆の季節に駄菓子屋で売っていた子供用の提灯である。緑色の棒にピンクや緑など、駄菓子屋で売られているチクロ入り駄菓子と同じような色使いで、中に蠟燭を灯すのが楽しく、それを手に隣近所の大人や子供達と花火をしたものである。ちなみに駄菓子はチクロ入りに限り、知らない世代とは駄菓子の話をする気になれない。というくらい別物である。 同居中の母は内蔵が丈夫で、目が覚めるたびに何か食べている。一時げっそりしていたがほとんど元に戻った。しかし元気だからといって 元気過ぎるのも問題である。私は“現世は夢夜のゆめこそまこと”なんて顔して幽霊に持たせる灯籠を作っている有様だが、独り者の勤め人で、責任ある仕事をしていて、さらに酒を飲めない人は、いったいどうしているのか?まったく想像がつかない。母は明日から月に一度のショートステイである。まだ行ってもいないのに、あまり喜んでも結局帰ってくるんだぞ、とついあまりはしゃがないように、と考えてしまう。 早々に牡丹の造花が届いた。箱を開けたとたん、あの花火の頃、隣のおばちゃんが花に囲まれ内職していた姿が浮んだ。
HP
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