森鴎外の背景を撮影に行きたいのだが思ったような天候にならず。そうなるとまた虎のことを考えてしまうが、本来作るとしても寒山と拾得の二人の予定であり、豊干まで作るとしたら、とつい余計なことを考えてしまって虎の制作方が浮んでしまった。時間的に3人はどうか。虎が出来ても、画面に虎一匹だけということになりかねない。そうなると、そこで次に私の考えそうなことは凡そ想像がつく。龍を作って『龍虎図』にしようと企むだろう。土俵をはみ出るのもいい加減にしろという話しである。 龍といえば何回か作った覚えがある。小学校の学芸会で、古事記の中から八岐大蛇の人形劇をやることになり、龍の頭を一匹作った。それがどういう人形劇になったのか、ならなかったのかまでは記憶がない。キングギドラの絵などは随分描いただろうが、陶芸の学校では四角い酒器に龍の頭が付いているのを作った。同級生が今も持っているかもしれない。注ごうとすると龍が大量の涎を垂らしているようであった。 三島由紀夫は『仮面の告白』で幼い頃繰り返し読んだ物語の話しを書いている。ドラゴンに噛み砕かれて死ぬ王子の話しなのだが、幼い三島は、王子が生き返るのが気に入らない。生き返る描写の部分を隠して読んだ。まさに“三島根っからエピソード”である。『三島由起夫へのオマージュ男の死』で、王子の様子などそのまま作ってみた。本当は兜を被っていた気がするが、三島のヘアスタイルと状況の違和感が薄くなるので被らせなかった。これは小学生以来の怪獣制作であったが、屋上でドラゴンを手持ちで撮影しながら、「私はいったい何を馬鹿なことをやっている」。すると幼い頃からおなじみの快感物質がジュワーッと。
銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」
HP
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