明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



明け方目が覚めると、作品に乾燥を防ぐための東京都推奨ゴミ袋を被せずに寝てしまい、表面が乾燥し始めていたので、慌てて霧吹きで水をかけ、袋を被せ、元に戻るのを待つことにした。その間Gyaoで『巨人の星』を観る。大リーグボール一号をついに打ち、倒れる花形とライバルに駆け寄る飛雄馬の姿に、つい涙。朝っぱらから何をしているのだ。始めてみた小学生の時には考えられないことである。  T屋に向かおうとすると、T屋の一番下のAちゃんが、ブレザーにチェックのスカートで見違える。今日は小学校の卒業式だという。T屋に行くと、かみさんは卒業式に出るので、昼から息子の高校の入学の手続きは、主人のHさんが行くことになったという。授業参観などいくと、先生に物申してもめるので、子供達には学校には来てくれるな、といわれている親父である。そうこうすると、Hさん腹が痛いと、顔をしかめて腹を押さえている。私が思うに、シラフで学校に行こうとしているからではないか。さすがに入学早々、親が先生ともめてはまずい。  夜アダージョの編集会議。ライターの藤野さんが、Dの顔があまりに長いので、ジャイアント馬場、その他、長いといわれる人と比べたら、さらに長かったという。打ち合わせの後、居酒屋へ移動し、次号の予定、その他について。編集長より、次号の候補を聞く。そうきましたか。 松尾芭蕉もそうだったが、現在の東京、まして都営地下鉄駅周辺では、背景にするには無理がある場合がある。芭蕉は近くに清澄庭園があったから良かったが、仕方がないときは、イメージ重視で、ということに。編集長の所へは、様々な問い合わせがくるそうだが、たまたまアダージョを手にしたお年寄りが、配布日の隔月の25日に、東京に来ることにしている、とか耳の遠いお年寄りから是非バックナンバーを、と熱心にいわれた話など聞く。「もう二杯飲んでたら泣いちゃうとこでしたよ」。男が一日に二回も涙するわけにはいかない。 帰りにT屋を覗くと、カーテン越しにHさんの姿、仕上げに飲ませてもらう。今日の学校での出来事など聞く。それにしても子供が五人もいて、つくずくたいしたものである。最近は身体に気を使ってアルコールを控えているようで顔色も良く、午前中起きてきても、二日酔いで、今人を殺してきたばかり、という血が滴った包丁が似合うような顔をしていない。

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