一作づつイメージの最終チェックをしている。本日は一休宗純。何順目だろうか。小四でねだって買ってもらった大人向けの『一休禅師』。子供ながら感銘を受けた竹竿にシャレコウベ掲げて正月の京の街を歩き回り〝門松や冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし”の一休がいよいよ目の前に現れる日が近い。その一作のつもりが、ある日、江戸時代の英一蝶の『一休和尚睡臥図』を見てしまった。道端で酔い潰れた一休を軒先の家人だか通りがかりの男が心配そうに見下ろしているのが可笑しい。室町時代の一休に対し江戸時代の一蝶と私、大した違いはない。私が一休を酔い潰すとしたら、と考えたのが、昼間竹竿にシャレコウベで歩き回り、くたびれてムシロをかけてシャレコウベ枕に寝てしまう。という、門松や〜の連作である。風狂の人一休にはこのぐらいのことをしてもらいたい。胸元にはシャレコウベにまとわりついていたカラスが止まっている。出来るだけ堂々と。最前に配したい。傍らには酒が入っていたであろう瓢箪が一つ転がっている。 芸人でもあり島流しにもあった英一蝶のユーモアは実に私好みである。滝に打たれている不動明王が、濡れないよう背中の火焔を傍に下ろしている。今回は我慢したが、これはいつか必ず手掛けたい。酉年の守り本尊は不動明王である。物心つく前に、迷子避けに住所と不動明王が彫られた小さな小判型プレートを首から下げていたのを覚えている。今はなき町名であった。