明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三島自決直後に出た数々の週刊誌の特集号を見ると、インタビューや寄稿文などトンチンカンなことをいってる連中を散見する。その激震が収まっていないところにニの矢となって放たれるはずだったのが薔薇十字社刊の男の死だったろう。世間は自分に対して勝手な解釈をしていやがる、ザマァミヤガレ、と想像して喜んでいただろう。ついこの間、憲法改正だ天皇陛下バンザイ、といっていた人物が魚をぶちまけ、腹に包丁が刺さって一心太助みたいに死んでいる姿を世間は目にするはずであった。 東大全共闘との対話は、いつか観ようとでかけたら土曜日の自粛で観られなかった。私としては実をいうと学生との対話内容など爪の先ほども興味はなく、若い東大生に囲まれ、仮に襲われてリンチにあって死んでも、それはそれで有りだな、と目を輝かせ嬉しそうにしている三島の顔を観察するのが目的であった。ようするにそんな人間がコロナ騒動の中、珍説男の死を開催しているのであった。









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