今回の個展が他の誰でもなく三島由紀夫だったこと、また三島でやり残したことがないこと、そしてコロナ以前とコロナ以後、と語られることになりそうなコロナ騒動。コロナの収束を待って、以前の状況に戻って欲しい、というのは当然私にもあるが、創作者としてはまったく別な観点がある。明らかに椿説男の死に辿り着く前と今では私が変わってしまっている。これは人に見てもらえない、来てもらえないで残念、会期を延期していたらどうだったか、などとは別な話である。ここが依頼されずとも長年勝手に作り続けてきた私の考え方だが、自分が変化することこそ生きていることであり、コロナ如きでそのペースを崩さずに済んだ、というのは後で効いて来るだろう。もちろんそれには、自粛自粛が嫌だった、というふげん社という会場有りきである。一昨年、三島で、というのが決まり、足が地に着かない気分で帰った。聞き間違えではないのか、と念のために昨年確認に来たくらいである。おかげて想いは吐き出せただろう。この渡世も長い、私には確信がある。寺山修司ではないが、百年経たずともその意味判る、だろう。