圓朝には影絵という物が残されている。人物の横顔をシルエットの状態で描いた物で、歌舞伎役者などもあるが、役者絵が浮世絵調にデフォルメされているのに対し、影絵は障子に映った物を正確にトレ一スしたようにリアルである。正面を作っていれば横はどうなってるかおおよそ判る。残された二種類のうちの一つが、どうみても圓朝ではない。圓朝でない、といえば“画鬼”河鍋暁斎の描いた圓朝像が、これまた圓朝に見えない。圓朝が長顔なのに丸顔であるし、眉が薄いのに老人の眉毛のように長く伸びている。合点がいかない。 先日圓朝の“あの感じ”が出ていないと気付いたのは、山手線の車中で圓朝の首を眺めた時であった。“あの感じ”とは何か。自分でも良く判らない。写真の中にはあるが、私が作った圓朝の中に無い何か。としかいいようがない。そこから粘って一押し。
タウン誌深川 常連席にて日が暮れる
アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』
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