昨晩は私の作家シリーズに転向直後からの知り合いの編集者と飲んだ。昨年の円朝以来の一連のプリントを見せる。作品の変化は予想していなかったようであったが、作っている本人がそうなのだから当然であろう。思えば作家シリーズへの転向は、始めて自作の人形を撮影した写真を人間の実写だと間違えた雑誌編集者がいたことがきっかけであった。リアルだといわれて喜ぶはずが、人形を使って実写と見まごう物を良く作りましたね、といわれているようで、次第に不機嫌になる私。そこで作り物でしかできない写真を、と翌年作家シリーズに転向し、澁澤龍彦には空に浮んでもらったりした。しかしそういう動機で始めたはずであったが、陰影を案配し、そこに在るかのように撮影を続けて来た。それが写真なればこその面白さなのであったが、頭の中のイメージを取り出し可視化するのが私の制作だ、といいながら頭の中のイメージに陰影などない、と昼間街を歩きながら気付いてコンビニの袋を落としそうになったのは昨年である。 今になって思うと、私の創作について考えるきっかけになったのは、鏑木清方作の円朝が写真の円朝と似ていなかったことであったろう。葛飾北斎の娘を描いたドラマで長塚京三演ずる北斎が、西洋画を見つめ「そのまま描いていやがる」。 明日は飲み仲間のトラックドライバーに着物を羽織ってもらい撮影し、北斎に着せ、最後に筆を横銜えした頭部を配すれば完成である。北斎に「そのまま描いていやがる」。とだけはいわれないようにしたい。
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」
HP
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