木場の河本のカウンターにワックスをかける。どうするかは未だ未定。物の存在感というのは特別である。私は本来、写真が最終形態であり、自作の被写体は内緒にして謎のままにしておきたいくらいで、作品を買っていただいた方だけに、競馬の予想屋のように、こちよこちよと書いて、そっと渡す、なんてやってみたいものだが。人形があった方がが良いといわれるから参考出品している。 そもそも頭に浮かんだイメージが、本当に頭の中にあるのかどうか、制作して、物として目の前に提示して確認したい、という私からすると、思い出や、イメージも良いが、実物が目の前にある良さはある。この板一枚で、その上を猫が歩いてい光景や、出禁になった人や、死んでしまった人の顔も浮かぶ。解体現場から救出した甲斐はある。閉店間際、椅子やらなにやら持ち帰った人が居たというが、家で愛用している人はいるだろうか?尻の感触で河本は甦らないだろう。 昔、郷に帰って河本を再現した店をやろうと、店内の寸法を計って帰った人がいたらしいが、おそらく叶うことなら、と私と同じことを考えた人はいるだろう。しかし、あんな埃にまみれ釘が出ている板切れを家に持ち帰って、無事に済む環境にいなければならない。そんな環境にないからこそ、河本でグズグズ飲んで、不思議なくらい家に帰ろうとしなかったに決まっている。私に向かって「家に何台洗濯機あると思ってんですか!」といった娘を持つお父さんにも、是非、自身餓そこにホッピーの瓶を並べている写真とともに、カウンターに触れさせてあげたいものである。
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