『虎渓三笑図』の背景の虎渓の山水の遠景は作ることにした。無い物は撮れないのが写真の欠点である。絵画と違い、マコトを写すという、記録性の代わりに不自由である。可能ならば、無い物は作って仕舞えば良く、それでも物足らず、陰影を排除するに至った。もっとも陰影が無いからこそ中国の山並みを作ろうなんて企めた訳である。出来れば、マコトなどには一切関わらず、一カットも撮らずに終わりたい。 多分に日本人的なことだが、作品の出自、成分を理解しないと目に灯りが灯らないのを、2000年前後、オイルプリント発表時に嫌になるほど味わった。おかげで技法公開目的でH Pを立ち上げることにした。そう考えると、陰影を出さないように撮影し、切り抜いて貼り付けるだけ、それ以外に言いようも説明のしようがない手法なのが慶賀の至りである。また単純な分、成否が被写体の出来にかかっている、というの間、私の原点である人形制作を見つめ直すことにもなった。まあ、良いこと尽くめ、のようであるが、私の大リーグボール3号は、その皺寄せが、艶、反射を使わずにどう水を表現すべきなのか、ということに悩まされている。本家大リーグボール3号は非力な選手に打たれるという欠点があったが。