今回写真の古典技法のグループ展に参加してみて、改めて考えているのがまことを写すという意味の“写真”という言葉である。私は事あるごとに、しつこいくらいに、蛇蝎の如くに嫌いだ、といってきた。迷惑しているといっても良い。写真だと思うから顔料インクで印画されたオイルプリントが不思議に見えてしまう。という実害?もある。もともと様々な技法があったことが知られつつある昨今、それがデジタルの反作用だとしても良いことである。 ツイッターの自己紹介に『額にレンズを当てる“念写”が理想だが、そんな能力はないので、しかたなく4、50センチの人物像を作り、作品を制作』と書いたが本音である。私が陶芸の専門学校に通っていた頃、写真にはまったく興味がなく、何も知らない私は、カメラマン志望の友人と喧嘩するたび「あの娘はお前が可愛くしたわけじゃないだろ、このかっぱらい野郎!」などといっていた。現在被写体を自分で作る労苦を強いられているのは、この時に吐いた暴言が祟っているのであろう。 私の創作行為は自分の中のイメージを可視化し、やっぱりあったな、と確認したいという欲求から始まっている。子供の頃、頭の中に浮かんだ物は確実に在るのに、それは何処へ行ってしまうんだろう。と首をかしげていた。自分の外側にではなく、額にレンズを向けたい。 真など一切写したくもなく、係わりたくもない私が到達したのが被写体を作り制作したオイルプリントである。そう思うと、私自身のまことは写っているといえば写っている。よって念写にはすでに成功している。といえるのかもしれない。
オイルプリント制作法
インキング映像↓
http://youtu.be/kZozcEqgKsE
『モダン藝術写真展』9月15日(月)~10月7日(火)
http://t.co/lc05lwVaiM
※世田谷文学館にて展示中10月5日まで
過去の雑記
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