明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

闘い  


アダージョ24号の入稿を済ませたばかりでのんびりしているはずだが、次号の特集人物が決まらないので落ち着かない。毎回 特集人物と、それにちなんだ都営地下鉄駅近辺が特集場所となるわけだが、たとえば作家などは、昔の東京が狭かったこともあり、ちなんだ場所といっても、だいたい似たような場所に集中しているし、歴史の浅い都営地下鉄ということもあり、かなり無理がある場合も出てくる。創刊3号の『チャップリンと日本橋を歩く』はチャップリンが来日時、日本橋の天婦羅屋で、海老の天ぷらにはまって何十本も食べた。ただそれだけである。しかも取材をかねて、編集長、ライターとその老舗天麩羅屋に行ってみたらすでに廃業していた、という始末である。 創刊号の江戸川乱歩の依頼を受けたときはまず、フリーマガジンというものがよくわからず、チラシに毛が生えたような物くらいに考えていて、時間がなかったこともあり、手持ちのデータを加工して使用した。しかも私はその一回だけのことだと思い込んでいて、今後も続くことを知ったのは、入稿を済ませ、初めて編集長と顔を合わせたときである。 創刊二号が向田邦子で、片手にカメラ、片手に向田邦子像を国定忠治が愛刀、小松五郎義兼を捧げ持つように撮影する“名月赤城山撮法”で、六本木の繁華街の撮影は、そばに編集長にいてもらい、こんなことをやっているのには、深い事情があることをアピールせずには恥ずかしい状態であった。しかし、早くも創刊3号、件のチャップリンで、人形を現場に持っていって、ただ撮るだけでは画にならないことを悟り、以後、現場を撮影し、それに合わせて人物像を作り合成することになる。結果、これだけ作ってきても展示できる状態の人物像は数えるほどしかない。そして毎号身をよじるようにして制作しているわけだが、フリーマガジンといっても広告がなければ成り立たない。今回、営業方面からある建造物を入れて欲しいとの要望である。その建造物が特集ならまだしも、写っていれば良いとは漠然とし、おかげでさらに難しくなった。しかし企画会議には営業関係者は出てくれない。出てこないなら私も出席しないことにしよう。

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