ホームにいる母と電話。小学四年の時、大人向けの一休禅師を買ってもらったのを覚えているか聞いたら、どうせ判らないから、と止めたのに、とそこまで覚えていた。私としても書店の店先でねだれば母もご近所の見栄もあるし、との計算があったのは間違いがない。そこでガロを買うようになったのは、その翌年か翌々年であろう。その書店は配達もしてくれたが、そこの袋に入った石原慎太郎の『スパルタ入門』をタンスに隠していたのを見つけ、敵の作戦を知ろうと、母より先に読んでしまった。以来の石原嫌いである。記憶が確かならば子供に死体を見せろという項があったような気がするが、あれは一理も二理もある、と後に思った。母には今度行く時、一休の首を持って行くよ、といっておいた。 友人等は、ホルモンの作用だか何だか知らないが、年頃になると遠くを見る目になったりしたものだが、私には全くそんな変化は起きず、一休禅師を読んだ頃から、一休を作るまでの間、全くの無段階で今に至っている。