来年秋頃、個展の話しが漏れ伝わって来た。今の所、直接話しを伺ってはいないが、文学系で、ということらしい。今何をどうする、という段階ではないが、部屋の片付けという苦役から一時逃れるため、勝手な構想を書いてみたい。 交通局発行のフリーペーパー用だったために、思い切って出来なかった太宰治を、私だったらこうする、と昨日まで酒場で飲んだくれているところは考えていたが、たった今、太宰の横でしなだれかかりながら、太宰に胸元に手を入れられ、乳房を揉みしだかれている酌婦が浮かんだ。世が世なら、太宰に胸を揉まれてみませんか?なんていったら文学少女が殺到したかもしれないが、残念ながらこちらは粘土製である。 昨日書いたように、太宰をすっかり見直した私であったが、太宰が田舎の富裕層出の〝スカシた男〟という印象に変わりはない。昭和三十年代に東京下町に育つと、男のスカシ屋は、最も嫌われた。後で思うに、スカシたくてもスカセないヒガミ根性が含まれていたと思われるが、その頃染みついた価値観は、そう変わる事はない。よって酒場ルパンで「俺も撮れよ」といわれてシャッターを切った林忠彦のような作品ではなく、ラリッてる間にスカす間もなく酒場で同席した男に撮られてしまった感じにしたい。 そういえば、同じ林忠彦が撮った、執筆中の坂口安吾だが、部屋の様子に世間は驚いたらしいが、一体あれのどこに驚いたのかサッパリ判らない私は、駄文による時間の引き伸ばしはもはやこれまで。部屋の片付けという苦役に戻るのであった。
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