昨日からちょっと部屋を片付けた。撮影が終わった連中が溜まって来たので、首を引っこ抜いて段ボール箱へ。今までもそうだったが、今回は特に、こんな場面で、こんな人物がこんなポーズをしている。と制作している。写らない所は冷酷なくらい作らない。でなければ、被写体制作と撮影の二刀流で個展など何年かかるか判らない。しかしだからこそ、撮影時に迷うことは何もないので、毎日のように撮影が完了している。ああ撮ろう、こっちからこう撮ろうなど一切ないからである。逆にいえば、二刀流だからこそ順調だといえる、二人で打ち合わせの必要はなく、意見の相違もない。ルールブックは一冊である。 それと、近日中に淡水魚である鯉の死体にポーズを付けて撮影することを考えると、多少は片付けたい、とさすがに思った。しかし慣れないことをするとダメージが甚だしく、寝てばかりいて、このブログも翌日書いている。 『慧可断臂図』は自分で腕を切り落としておいて、痛くて泣きそうなのか?という雪舟作と違い、覚悟の表情をさせ、また、達磨大師は背中を向けて無視しているが、その覚悟の念に、振り向かせた。構図は大分変わる予定。