蝦蟇、鉄拐図は13世紀後半に活躍した中国の顔輝(がんき)作が日本に渡り、それが多くの絵師の大元となっている。私の好きな謎の笑みをたたえた寒山拾得図も顔輝作となっいるが、こちらはあくまで伝顔輝となっており、そういえば趣が違う気がしなくもない。真筆として明らかになっているのは、京都知恩院にある蝦蟇、鉄拐図という。そう考えると、今回、モチーフの選択など、私にも顔輝の影響大である。しかしながら私は絵師ではなく、こう描くべきだ、という師匠もいない。作った後に、蝦蟇仙人がカエル顔をしている必用はなかったな、などと思いながら、勝手に作っている。 小津安二郎の有名な言葉に“どうでもよいことは流行に従い、 重大なことは道徳に従い、 芸術のことは自分に従う。”というのがあるが、私の場合、差し詰め”どうでも良いことは歴史に従い、その他は自分に従う“といったところであろう。巨匠の場合はチーム仕事だし、会社に所属し、私とは渡世が違う。 よって鉄拐仙人の持つ鉄の杖は、持ち手がT字型の先達が描いてきたと同じ形にしたい。
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