ロクロ台の上にまずは一休禅師の芯を立てる。小学校の図書室で偉人伝、伝記の違いを読みまくったが、小四にもなると、子供向けの挿絵に我慢が出来なくなっていたし、大きな活字にも嫌気がさして来た頃、初めて大人向けの『一休禅師』をねだった訳だが、未だに伝記を読んでいるから、つくづく三子の魂百まで、である。 毛細血管を伸ばすように、枝葉を伸ばし変化して来たが、『青春時代』同様、後からほのぼの想うもの、であり、実際〝胸にトゲ刺すことばかり”だった気もするが、溢れる快感物質のおかげで自打球が当たっても笑っていられたのは幸いだったのか?それでも程度というものはあり、先天的に痛覚がない無痛症の人間は、骨折しようと火傷しようと平気で、身体に不都合あっても気付かず。あまり良い結末は迎えないようである。