菊ちゃんと八ツ橋
八ツ橋は初恋の味で
ござ~♪~ますわぁ
おほほほほ。。。。
今日は、もう、初めから
出てきてしまったので
ござ~♪~ますわよゥ。
どうしてかって。。。?
もちろん、あなたに
会いたくって
しびれを切らして
いたのでござ~♪~ますわよォ~。
会えてうれしいわあああ。。。
うふふふふふ。。。。
ところで、前にも書きましたけれど、
あたくしにとって懐かしい京都の味とは
なんと言っても“八ツ橋”でござ~♪~ますわ。
ええっ。。。どうしてかって。。。?
あたくしの初恋の味なのでござ~♪~ますのよ。
ええっ?どういうわけかってぇ。。。?
実は、八ツ橋を売るお店に、
かわゆい男の子が居たのでござ~♪~ますのよ。
おほほほほほ。。。
その男の子にあたくしが恋をしたのでござ~♪~ますわ。
そういうわけで、八ツ橋を食べるとき、
あたくしのお口の中で
初恋の思い出が広がるのでござ~♪~ますわぁ。
うふふふふふふ。。。。
あなたにも食い意地の張った初恋の思い出が
おありでござ~♪~ますでしょう?
うししししし。。。。
ええっ?八ツ橋は平安時代には
なかったはずだ、とおっしゃるのですか?
似たようなものがあったのですわよ。
んも~~
そういう硬いことは言わないでよねぇ。
やわらかい生八ツ橋はいかが?
おほほほほほ。。。。
そういうわけで、今日は八ツ橋のお話を
しようと思ったわけですのよ!
八ツ橋っていつ頃からあるのか
ご存知ですか?
八ツ橋(やつはし)は、和菓子のひとつ。
京都市の銘菓。表記は、八橋、八つ橋とも。
上新粉(米粉)、砂糖、シナモンの粉末を混ぜて生地を作り、
薄く焼き上げたせんべいの一種で、形は琴を模しており、
長軸方向が凸になった湾曲した長方形をしている。
焼かずに蒸しあげたものは生八ツ橋(なまやつはし)と呼ばれる。
生八ツ橋には四角く切った生地で餡を包んだものもあり、
八ツ橋といえばこの餡を包んだものを思い浮かべる人が多いだろう。
名前は琴の名手であった八橋検校(やつはし けんぎょう)の名に由来する説と、
伊勢物語の九段「かきつばた」の舞台となった
「三河国八ツ橋」の故事にあるという説がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
でも、ネットで調べてみると、圧倒的に八橋検校の名前に由来すると言う説明が多いですわ。
それもそうですよね。
八橋検校は京都に居た事があるのです。
八ツ橋が京都の銘菓である以上、京都になじみのある八橋検校さんの名前のほうが
三河の国の八ツ橋よりも自然ですよね。
では、一体この八橋検校とは、どのような人だったのでしょうか?
八橋 検校(やつはし けんぎょう)
慶長19年(1614年)に生まれる。
貞享2年6月12日(1685年7月13日)に没する。
江戸時代前期の音楽家。名は城秀。
出身は摂津とも陸奥国磐城とも言われる。
寛永年間(1624年-1644年〉の初め頃大阪で城秀と称して三味線の分野で活躍した。
その後江戸にくだり筑紫善導寺の僧法水に筑紫流筝曲を学んだ。
この筝曲を基に現在の日本の筝の基礎を作り上げた。
独奏楽器としての楽器や奏法の改良、段物などの楽式の定型化など、筝曲の発展に努めた。
代表作に組歌『梅が枝』、『菜蕗』 (ふき)、『心尽し』、『雲井の曲』など。
段ものの『六段の調』、『みだれ (輪舌 {りんぜつ} )』、
『八段の調』も八橋の作と伝えられている。
1636年(寛永13年)上洛して山住勾当と称し、
1639年〈寛永16年)再び上洛して上永検校と称し、
その後八橋検校と改名した。
その芸術は高く評価され、磐城平藩専属の音楽家として五人扶持で召し抱えられたこともある。
胡弓、三味線の名手でもあり、胡弓の弓の改良も行っている。
菓子の八ツ橋の語源とする説もある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
では、一体どのような経緯(いきさつ)で八ツ橋という名前がついたのでしょうか?
近世箏曲の開祖といわれる八橋検校が、数多くの高弟・門弟たちに見守られて、
貞享2年6月12日(1685年)亡くなり、黒谷金戒光明寺に葬られました。
その後、亡き師のご遺徳を偲び門弟たちが、続々絶え間なく墓参におとづれ続けましたが、
歿後4年の元禄2年(1689年)黒谷参道の聖護院の森の茶店で、
琴の形に似せた干菓子を、「八ツ橋」と名付けて発売するようになりました。
これが「八ツ橋」の始まりといわれており、
その場所が当社創業の地(現在の本店の場所)です。
『聖護院八ツ橋総本店』のホムペより
京都の左京区には聖護院というお寺があるのですけれど、
この地区は食べ物とは切っても切れない縁があるのですよ。
聖護院八ツ橋をはじめとして、
京野菜の聖護院大根、
それに聖護院かぶ、
そして聖護院きゅうり。。。
あなたにも、ふるさとでの懐かしい食べ物があるでしょう?
久しぶりにふるさとに戻ってみては。。。?
『八ツ橋は初恋の味でござ~♪~ますわぁ』より
(2006年9月24日)
小百合さんが帝国ホテルのチョコと一緒に生八ツ橋をデンマンさんに贈ったのは、あたくしの上の記事を読んだからでござ~♪~ますわ。
僕に八ツ橋を贈るのに、どうして卑弥子さんが書いた記事と関係あるのですか?
だってぇ~、小百合さんはデンマンさんが一人二役やって、あたくしの記事も書いていることをご存知ですわ。
でも、それは可笑しいと思うなあああぁ~
どうしてでござ~♪~ますか?
卑弥子さんの初恋の味ですよう。僕とは全く関係ないじゃありませんか?
だから、デンマンさんが一人二役やって、あたくしの記事もデンマンさんが書いているという事を小百合さんは知っているのでござ~♪~ますわ。だから、あたくしの初恋の味という事はデンマンさんの初恋の味でもあるのですわ。
でもね、僕と菊ちゃんで一緒に仲良く八ツ橋を食べたという話が、僕が書いた記事の中に出てくるのですよう。
小百合さんは、その記事まで読んでいませんわ。
どうして、卑弥子さんは読んでいないと断定するのですか?
だってぇ~、小百合さんは次のように書いていましたわ。
本当はチョコを送っていいのか、
1ヶ月考えていたのです。
八ツ橋はチョコをごまかすための、オマケでした。
だって、私だって 主人以外にチョコを送るのは
何十年ぶりでしたから、
『チョコに迷って (2008年4月12日)』より
つまり、“チョコをごまかすためのオマケ”だったのでござ~♪~ますわ。だからそれ以外の意味は無いのですわ。要するに、あたくしが書いた記事を読んで、それで“八ツ橋”が思い浮かんで、それをオマケにして小包の中に一緒に入れたのですわ。
それは、卑弥子さんの単純な考えから出た発想ですよ。
あたくしが単純だとおっしゃるのでござ~♪~ますか?
僕は卑弥子さんのオツムが単純だと言っているのではありません。卑弥子さんの平安文学、特に源氏物語に関する知識は、日本でも専門識者として卑弥子さんが指折り数える中に入っていると思って、僕は尊敬しているほどですよ。でもねぇ、小百合さんに関する限り、卑弥子さんよりも僕の方が詳しいのですよう。
つまり、あたしが知らない事をデンマンさんはご存知なのでござ~♪~ますか?
卑弥子さんも僕が書いた記事を読んでいるのだから、知っているはずですよ。でもねぇ、僕ほど小百合さんのことを大切な人だと思っていないから、卑弥子さんはすっかり忘れてしまっているのですよう。
あたくしが何を忘れているとおっしゃるのでござ~♪~ますか?
かつて小百合さんは次のようなメールを僕に寄越した事があるのですよう。
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