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マーラーと妻 (PART 1)

2019-07-04 11:06:09 | お笑い・ユーモア・娯楽・ゲーム・音楽
 

マーラーと妻 (PART 1)

 


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デンマンさん。。。、どういうわけでマーラーと妻を持ち出してきたのですかァ~?


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オマエはマーラーと妻が嫌いなのォ~?

いや。。。 別に、オイラはマーラーと妻とは全く関係ないので、好きでも嫌いでもありませんが。。。

でも。。。、でも。。。、オマエはマーラーについて記事で書いていたのだよ。。。

デンマンさんは、よく覚えていますねぇ~。。。 確かに、次のように書きました。


11.2 イーゴリ・ストラヴィンスキー


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    (1882-1971)


 

アルノルト・シェーンベルクには敵が多かった、とのことである。
けれど、私には、彼にも寛容な一面もあった、と思われる。

シェーンベルクは終生グスタフ・マーラーを擁護していたし、パウル・ヒンデミットの作品、例えば《Das Marienleben (マリアの生涯)》(初版)を評価していた、と聞く。

 


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そのことは、彼と彼らの立場や作曲技法の相違を考えると驚くべきことではないか。
彼自身は断念した調性に依存する音楽の、さらなる追求に対して、例えその先が見えていたとしても、未だ何ものかが出来る余地が可能性として残る限り、友情をもって他を見守っていたのではなかったか、と思われるのである。

悪しきは、ルネ・レイボヴィッツとその一派だ。
所詮、二、三流の、作曲家にもなり損なった評論家は、誰かの取巻きの一人となり、その誰かを嵩に掛けて、立場の違う他を攻撃する事によって、自己の幻のアイデンティティを確認し、顕示しようとする。
これは、ある種の自己欺瞞でもあろう。

彼らに較べれば<凡庸な作曲家>グスタフ・マーラーでさえ、遥かに創造的ではなかったか。 (略)




赤字はデンマンが強調)

51-52ページ
『前奏曲集―あるアマチュアの覚書-作品 1の1』より

デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!




つまり。。。、オイラがマーラーのことを書いたのを思い出して、デンマンさんはマーラーと妻を持ち出してきたのですかァ~?



オマエのために、そう言いたいところだけれど、実は、そうじゃないのだよ。。。 最近、バンクーバー市立図書館で借りたDVDで次の映画を観たのだよ。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』



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My Comment

Jun 27, 2019

Directed by Andy Sommer in 2011, this 88-minute documentary depicts the life and works of Gustav Mahler.

Performances of Mahler's works became less frequent after his death in May 1911.

Much American critical reaction in the 1920s was negative, despite a spirited effort by the young composer Aaron Copland to present Mahler as a progressive, 30 years ahead of his time and infinitely more inventive than Richard Strauss.

The musical audiences of the 1930s would find Mahler second-rate.

Mahler's music was banned as "degenerate" during the Nazi era.

In 1960, however, Leonard Bernstein single-handedly rescued Mahler from oblivion, after 50 years of neglect.

Mahler himself predicted his place in history, once commenting: "I could perform my symphonies for the first time 50 years after my death!"

In the years following his centenary in 1960, Mahler rapidly became one of the most performed and most recorded of all composers, and has largely remained so to this day.

If you're a classic lover, this is a must-see.




2011年にアンディ・ゾンマー監督によって制作された この88分のドキュメンタリーは、グスタフ・マーラーの生涯と作品を紹介する。

1911年5月の死後、マーラーの作品の公演はそれほど頻繁には行われなくなった。

若い作曲家のアーロン・コープランドが、マーラーを30年先を行く作曲家であり、リヒャルト・シュトラウスよりもはるかに独創的だと喝破していたにもかかわらず、1920年代の多くのアメリカの批評家はマーラーの作品に対して否定的でした。

1930年代の聴衆はマーラーを二流だと見なしていた。

マーラーの音楽は、ナチス時代には「退廃的な音楽」として演奏が禁止されていた。

しかし、1960年、レオナルド・バーンスタインは、他の誰もが50年見過ごしていたマーラーの作品を忘却から救い出したのです。

マーラー自身が音楽史に置ける自分の位置を予測していました。

なぜなら、彼は次のように語っていました「自分の死後50年経てば、私の交響曲は演奏されるだろう」と。

1960年の生誕100周年を迎えてからの数年間で、マーラーの作品は、急速に認められ、すべての作曲家の中で最も演奏され、最も録音された作曲家のひとりとなり、今日でも その人気は続いている。

クラシック・ファンなら、この映画は必見です。

【デンマン訳】




つまり。。。、上のドキュメンタリーを観たのでマーラーと妻を取り上げたのですか?



そういうことだよ。。。

それなのに、どうしてオイラがかいた記事を冒頭に書き出したのですか?

オマエは次のように書いていたのだよ!




 

ルネ・レイボヴィッツとその一派に較べれば

<凡庸な作曲家>グスタフ・マーラーでさえ、

遥かに創造的ではなかったか。





つまり、オイラがマーラーについて書いたことに対してデンマンさんはムカついたのですか?



別に、ムカついたというほど感情を害したわけじゃないけれど、上の記録映画を観れば、「1960年の生誕100周年を迎えてからの数年間で、マーラーの作品は、急速に認められ、すべての作曲家の中で最も演奏され、最も録音された作曲家のひとりとなり、今日でも その人気は続いている」ということが分かるのだよ。

要するに、オイラがマーラーを<凡庸な作曲家>と書いたのでデンマンさんはムカついたのですねぇ~!?

いや。。。 僕はマーラーの熱烈なファンじゃないから、オマエがマーラーに対してどのような感想を持っていようが、どうでもいいのだよ。。。 でも、上の記録映画を観ると、「若い作曲家のアーロン・コープランドが、マーラーを30年先を行く作曲家であり、リヒャルト・シュトラウスよりもはるかに独創的だと喝破していた」と言うのだよ!

つまり、デンマンさんはマーラーは決して<凡庸な作曲家>じゃなく、むしろ30年先を行く独創的な作曲家だったと言いたいのですか?

上の記録映画を観ると、そういうことになるのだよ! 要するに、マーラーを<凡庸な作曲家>と書いたオマエこそ凡庸なのだよ!

結局、この事を言うために、わざわざマーラーを取り上げたのですか?

もちろん、それもあるけれど、それだけの事だったら、僕はマーラーと妻というタイトルにはしなかったよ。

つまり、デンマンさんはマーラーの妻に心が惹かれるのですねぇ~。。。

いや、別にマーラーの奥さんが気に入ったわけじゃないのだよ!

じゃあ、いったいマーラーの奥さんがどうだと言うのですか?

もう一度マーラーの妻・アルマの写真を見て欲しい!

 


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けっこう美人ですねぇ~。。。!



この写真に書いてある "Malevolent Muse (悪意のあるミューズ)" と言うのが意味深だよ。。。

「ミューズ」と言うのは、ギリシア神話で文芸を司る女神たちのことですよねぇ~。。。

あれっ。。。 オマエ、よく知ってるねぇ~。。。

その程度のことはクラシックを聴く者にとっては常識ですよ! 要するに、アルマは悪女の面も持ち合わせていたと言うことですねぇ~。。。

当たらずとも遠からずと言うところだなァ~。。。


アルマ・マーラー


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1879年8月31日 – 1964年12月11日

 

アルマ・マリア・マーラー=ヴェルフェル(Alma Maria Mahler-Werfel)は、オーストリアの作曲家グスタフ・マーラーの妻。
結婚前の姓はシンドラー(Schindler)。
自身も作曲を行い、16の歌曲が今日に残されている。

華麗な男性遍歴で知られる。
ミューズにしてファム・ファタル


アルマは画家エミール・ヤーコプ・シンドラー(1842年 - 1892年)の娘としてウィーンに生まれる。
アルマが13歳のときに父が亡くなり、母は父の弟子のカール・モル(英語版)(1861年 - 1945年)と再婚する。
彼女は実父を愛した反面、養父は愛せなかったという。
裕福な中流の家で、母親は芸術家サロンの主宰者であった。

アルマは少女時代から絵画、文学、哲学、作曲に才能を発揮し、美貌で多くの男性芸術家をとりこにした。
世紀の変わり目に、当時新進気鋭の作曲家アレクサンダー・ツェムリンスキーに入門し、歌曲の作曲を開始する。

ツェムリンスキーはアルマに恋い焦がれていたというが、実際に恋愛関係にあったか否かは定かではない。
ツェムリンスキーより前には、グスタフ・クリムトとも深い仲にあったという。

1900年11月10日に、アルマはグスタフ・マーラーと知り合う。
アルマは当初、マーラーを嫌っていたという。
アルマはその時、多くの男性の信奉者らに囲まれており引く手あまたであった。

一方のマーラーには、女優との恋愛の噂やリハーサルでの不遜な態度という悪評が立っていた。
ところがアルマはマーラーからの求愛に応えて結婚を承諾する。
その際、アルマの一族や友人らからの反対は大きかった。

マーラーは田舎育ちでユダヤ人、しかも多額の借金を抱えており年齢差も大きかった。
またマーラー自身、アルマに献身的であることを求め、婚約時から彼女自身が作曲することを禁止するなど命令的な態度を取った。
婚約はしばらくの間、秘密にされた。

当初はウィーン楽壇の将来を担う芸術家を支えることに愛を見いだしたアルマだったが、マーラーの借金、育児、互いの交友関係が合わないことなどが彼女の心労の要因となる。
さらにアルマはマーラーの楽譜の清書を始め、夫の仕事を手伝う役を買って出るものの、彼女の献身的な態度をマーラーが常に尊重した訳ではなかったという。

夫婦の中が冷えきっていた折、アルマは建築家のヴァルター・グロピウスに出会い、求愛される。
彼女自身、グロピウスに惹かれていたという。

晩年のマーラーがアルマとの関係修復を望んでフロイトの診察を受けたというエピソードは有名である。
さらにマーラーは、アルマの関心を取り戻そうとして、彼女がかつてツェムリンスキーのもとで作曲した歌曲を、自らの契約先であるウニヴェルザール出版社に持ち込んだ。

1911年に未亡人となった後、画家のオスカー・ココシュカらとも関係を深めながらも(ココシュカの油彩画「風の花嫁」は、アルマとの性交渉を赤裸々に描いた作品として有名である)、グロピウスと再婚した。

 


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グロピウスとの間にもうけた娘マノンは聡明で美少女だったが、虚弱で夭逝した。

マノンのことをことのほかかわいがったのが作曲家のアルバン・ベルクであり、ベルクはマノンの死後に『ある天使の追想に』の献辞を付したヴァイオリン協奏曲を作曲した。

ここで「天使」と呼ばれているのがマノンにほかならない。

 


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ベルクはまだ生家が裕福だった思春期に使用人の女性に娘を身ごもらせた過去があり、その女性や娘と引き離された上、結婚相手の女性とは幸せな家庭をつくることができなかった(アルマは、晩年のベルクの不倫の恋をとりもち、後々までベルク未亡人の恨みを買っている)。

そのことからベルクは、マノンをわが子と重ね合わせていたとされる。

グロピウスとの関係が破綻した後、アルマは年少のフランツ・ヴェルフェルと再々婚した。
ヴェルフェルはイタリア・オペラ、とりわけヴェルディにしか興味がなく、同時代の音楽を大抵は罵倒しており、音楽的にアルマと共通する点がほとんどなかった。

アメリカ亡命後、とくにカリフォルニア時代のアルマは、自ら音楽サロンを主宰して、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、コルンゴルトなど、ヨーロッパからの多くの亡命作曲家が出入りを重ねた。
コルンゴルトがストラヴィンスキーの前でシェーンベルクのピアノ曲を暗譜で通して演奏してみせ、驚かせたというエピソードは、アルマのサロンにおいての出来事である。

 



 

ちなみに、マーラーとの間にもうけた2人の娘のうち、長女マリア・アンナは幼くしてこの世を去ったが、次女のアンナ・ユスティーネは後に彫刻家として活躍した。

彼女も母と同じく多彩な恋愛遍歴で知られ、生涯に5回結婚している。

2人目の夫は、アルマの指示でマーラーの交響曲第10番の補筆を行った作曲家エルンスト・クルシェネクである。
第二次世界大戦中、母親がアメリカ亡命を選んだのに対して、アンナ・ユスティーネはイギリス亡命を選んだ。

 






出典: 「アルマ・マーラー」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




つまり、デンマンさんにとってグスタフ・マーラーはどうでもよくて、アルマ・マーラーがファム・ファタール(Femme fatale)-「男を破滅させる魔性の女」であることに、心惹かれるのですねぇ~。。。

 


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オマエは、「男を破滅させる魔性の女」が嫌いなのォ~?



当たり前でしょう! オイラは8度結婚して7度離婚したエリザベス・テイラーのような女は嫌いです!

アルマの娘は母と同じく多彩な恋愛遍歴で知られ、生涯に5回結婚しているというけれど、やっぱり、娘は母親に似るようだねぇ~。。。

その通りです。。。 オイラの妻は、二人の娘を立派に育てて、二人とも小児科の女医としてアメリカの総合病院で真面目に働いています。。。

オマエの奥さんは立派だよ。。。 でも、その奥さんとオマエが日本語が通じなくなってから数年が経っているのだよなァ~。。。!?

デンマンさん! その話だけはここでしないでください!

分かったよ。。。 関心のある人は次の記事を読んでみてください。。。

 



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『バッハと後妻』



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 (すぐ下のページへ続く)





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