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都知事になれなかった男(PART 1)

2014-03-29 16:01:56 | 病める日本・高齢化社会

 
 
都知事になれなかった男(PART 1)
 

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デンマンさん。。。 都知事になれなかった男というのはデンマンさんのことでござ~ますか?


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確かに、僕は都知事になったことがないのですよ。 でもねぇ、僕は別に都知事になろうと思ったことないし。。。、それに、東京都に住んだこともないのですよ。 また、今後 東京に住みたいとも思わない。

じゃあ、いったい都知事になれなかった男というのは どなたのことでござ~ますか?

あのねぇ~、夕べ本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。



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もちろん、地震に備えた町づくりも大切だ。
1995年の都知事選に私が立候補したとき、阪神・淡路大震災が1月、都知事選は4月だった。
そこで掲げた公約は、公共の場所に非常用の発電機であるとか緊急食糧とか若干の医療器具とかを常備しておく。
すべての電線は地下に埋設する。
液状化しやすい軟弱地盤を作り変える。
液状化させない技術を今の建設会社はみな持っているからだ。
それらの政策を時間と資金を投入して実行し、同時に町の整備をしていこうと提案したわけだ。
以降16年(青島氏4年、石原氏12年)たっているが、何ひとつ手がつけられていない。
いまやるべき優先順位の1位は、あのときの公約の実行ではないだろうか。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




33ページ 『日本復興計画』
著者: 大前研一
2011年4月30日 第1刷発行
2011年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




あらっ。。。 大前さんは都知事になりたかったのでござ~ますか?



あれっ。。。 卑弥子さんは日本に住んでいながら知らなかったのですか?

だってぇ、あたくしは京都市民ですものォ~。 東京都とは関係ござ~ませんわァ。

でも、ニュースで東京都知事の選挙のことを卑弥子さんの家のテレビでもやっていたでしょう!

もちろん、そのようなニュースもあったでしょうけれど、とにかく、もう かれこれ20年以上も前の お話でござ~ますわァ。 あたくしは、東京都知事選などというものに 全く関心がありませんでしたわ。

あのねぇ~、卑弥子さんは京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義している准教授なのですよ。 少しぐらい日本の政治に興味を持ったらどうですか?

あたくしは京都府の政治には関心がありますけれどォ、都政にまでは興味がありませんわァ。

でも、東京は一応 日本の中心都市ですよ。

でも、はっきり申し上げて、京都さえ良ければ、東京はどうでもいいのですわ。 うふふふふ。。。

卑弥子さんが そう言うのも 解らないこともないけれど、東京が良くならなければ、日本も良くなりませんよ。

そうでしょうかしら。。。? 。。。んで、デンマンさんは、どうして大前さんのことを取り上げたのですか?

あのねぇ~、大前さんは『日本復興計画』という本を2011年4月30日に出版しているのですよ。 つまり、あの東日本大震災が起きた2011年3月11日から、51日後に本を出しているわけですよ。

素早いですわねぇ~。

そうですよ。 6ページに次のように書いてありました。


私は、ちょうど福島第一原発の炉が設計・建設・稼動を始める1960年代の後半に、マサチューセッツ工科大学で原子力工学を学び、博士号を取得後、1970年に日立製作所に入社、原子炉の設計に携わった。
そうした背景があったために、地震直後から、福島原発が、今日判明するような事態にまでいきつくことがすぐにわかった。




でも、地震が起きてからそんな事を言っても仕方がないでしょう!?



どうして。。。? この本は10日後に第2刷を出版しているのだから売れたみたいですよ。 

でも、あれだけ大きな地震ですもの、福島原発が非常事態になることぐらい、素人だってうすうす感じられますわァ。

あれっ。。。 卑弥子さんも、そう感じたのですかァ~?

だってぇ~、あたくしは次の記事を読んでいましたわ。


闇に葬られた秘密報告書

この当時(1960年4月)、わが国最初の商業用原子炉として計画が進められていた茨城県の東海発電所で最悪の大事故が起こった場合に、どれほどの被害が発生し、日本政府がその被害を補償できるか、保険会社がそれを引き受けられるかどうかを、真剣に検討したものである。

秘密報告書であるから、沖縄返還における外務省の「核密約」文書と同じように、私たち国民はまったくその内容を知らされずに今日まできたが、私の知る限り一度、この秘密報告書の存在を毎日新聞が報道した。
この1974年の報道では、これを書いた日本原子力産業会議にその存在を確認しても、外務省と同じように「報告書はない」とシラをきったという。

 (中略)


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「物的損害は、最高では農業制限地域が長さ1000Km以上に及び、損害額は1兆円以上に達しうる」と小さく書かれており、東海村からの半径が同心円で示されていた。
つまり図にやや濃く描いた園内の矢印範囲は、農業できない地域になる。
日本全土で農業ができないのだから、日本人が日本列島に住めないと考えてよいだろう。

 (中略)

三段論法に従ってここまでの説明をまとめると

①原発の大事故は起こりうる。

②大事故が起これば日本はほぼ壊滅する。

③その可能性が最も高く、こわい原因として大地震が考えられる、という結論になる。

原発震災の被害を誰も償えないので、外国の保険会社は日本との契約を放棄した。
それなのに、当の被害者になる日本人がそれを知らずに生きているのは、大変不思議なことであると、読者はお考えにならないか。

 (中略)

いよいよ迫る東海大地震と、

予期される浜岡原発震災



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日本列島のちょうど真ん中、静岡県の駿河湾に面した御前崎というところに、トヨタ自動車などの名古屋経済圏のために建設された、中部電力の原子力発電所がある。
この浜岡原発には現在、三基の原子炉が稼動している。
浜岡原発は、今を去る34年前の1976年3月17日に、1号機が営業運転を開始した。

その運転開始からわずか5ヶ月後の8月23日に、当時東京大学理学部助手だった石橋克彦氏が地震予知連絡会で「駿河湾でマグニチュード8クラスの巨大地震が起こる」と、東海地震説にもとづく重大な警告を発した。
マグニチュード8.0とは、10万人を超える死者を出した関東大震災の、さらに1.4倍の破壊力を持った大地震ということになる。

 (中略)

こうして、石橋氏の警告は、後年に確立されるプレート運動の理論によってその正しさが、次々と実証されてきた。
ところが、その警告が発せられて以来34年間にわたって、浜岡原発はこのとてつもない巨大地震の危険性と同居しながら、綱渡りの原子炉運転を続けてきた。
石橋氏は東京大学理学部で地球物理学課を学んだ屈指の地震学者であり、神戸大学の教授として、浜岡原発の危険性を裁判で訴え続けてきた。

(中略)

2004年には、浜岡原発を止めるために起こされた「原発震災を防ぐ全国署名」の賛同人に、京セラ創業者の稲盛和夫氏が名を連ねた。
「東海地震が今後30年間に起こる確率は87%」というのが、政府の地震調査研究推進本部の判断である。
これは、30年後に起こるということではない。
30年後かそれとも明日か、確率は発生時期を教えてくれない。
しかし87%なのだから、必ず起こる、ということは断言できる。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています
写真と地図はデンマン・ライブラリーより)




12-21ページ、28-29ページ
『原子炉時限爆弾』 著者: 広瀬 隆
2011年4月28日 第6刷発行
発行所: ダイヤモンド社

『日本の崩壊』に掲載
(2012年6月17日)




東日本大震災が起こるずっと以前から、解っている人は解っていたのですわよ。 だから、2004年には、浜岡原発を止めるために起こされた「原発震災を防ぐ全国署名」が行われたのですわよ。



つまり、大前さんは東日本大震災が起こる以前に、原発廃止に向けて運動を起こすべきだったと卑弥子さんは言うのですか?

その通りですわ。 せっかく、マサチューセッツ工科大学で原子力工学を学び、博士号を取得したのじゃありませんかァ! 原発が危険なものであることぐらい専門家なのですから理解していたでしょうに。。。!

でもねぇ~、大前さんは原子力推進論者ですよ! 本の中で次のように書いてました。



(genshiro2.jpg)

さて、今回はっきりとしているのは、これまで日本の原子力輸出政策は終わり、日立・東芝などの原子炉メーカーとしての未来もこの段階で終わったということである。

これまで、原子力技術者を多く要する日本企業が非常に有利なポジッションにいたことは間違いなく、私も、日本は原子力を「国技」として優秀な人材を投入し、CO2削減をめざす世界に売り込みをかけるべきだと提言してきた。
もちろん原子力推進論者である。


(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)




29ページ 『日本復興計画』
著者: 大前研一
2011年4月30日 第1刷発行
2011年5月10日 第2刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋




これでは、戦前の軍国主義者・戦争推進者が戦後になって戦争反対論者・民主主義者に転向したようなものじゃありませんか! せっかく、マサチューセッツ工科大学で原子力工学を学んだのですから、ラルフ・ネーダーさんのように原発の恐ろしさを日本人に、もっと知ってもらうように努力すべきだったのですわ。



確かに、良識ある科学者は原子力の開発には反対するようになりましたからね。 アインシュタイン、湯川秀樹、それに、あの原爆を開発したオッペンハイマー博士までが原爆・水爆の開発には反対するようになりました。

そうですわ。 大前さんは原発事故が起きてから しゃしゃり出て本を書いて『日本復興計画』などというタイトルを付けていますけれど、すべて“後知恵”ですわ。 つまり、先を見る“ビジョン”を持ってないのですわ。 だから、都知事にも落選してしまうのですわ。

あのねぇ~、大前さんが落選したのは都知事選ばかりではないのですよ。

あらっ。。。 他の選挙でも落選しているのですか?

ウィキペディアには次のように書いてありますよ。



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1992年11月、新自由主義を標榜する市民団体・平成維新の会を設立し、同会代表に就任。
翌1993年、文藝春秋3月号で「新・薩長連合結成宣言」を発表。
知事連盟構想を掲げて1995年東京都知事選挙に立候補したが青島幸男に敗れ落選する。
同月の北海道知事選挙では、大前の構想に呼応した友人の三浦雄一郎が出馬したが落選した。1994年マッキンゼー・アンド・カンパニーを退職。

第17回参議院議員通常選挙に比例区から、平成維新の会公認で大前、三浦を含め10人が出馬したが、10人全員が落選した。

 (中略)

平成維新の会は参院選惨敗後に事実上解散した...




出典: 「大前研一」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




でもねぇ~、大前さんは素晴らしい経歴の持ち主なのですよ。



あらっ。。。 そうですのォ~?

ちょっと次の著者紹介ページを読んでくださいよ。


 (すぐ下のページへ続く)





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