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めれちゃんとカフカ(PART 2)

2013-08-27 13:21:00 | 海外留学・国際化・グローバル化

 
めれちゃんとカフカ(PART 2)



めれちゃんは、こないに書いていたやないかいなァ!



あんさんは、わたしの書いたものは何でも保存しておくのォ~?

そうやァ。。。このような時にすぐに持ち出せるように、わては大切にしまっておくのやでぇ~。

確かに、わたしは詩人として世に認められたい気持ちがありますねん。。。でも、上の手記に書いたとおり、自分の詩が、どこまで通用するのか、さっぱり自信がないのですう。(泣)

あのなァ~、世に認められるかどうか? そのような事は、考えんでもええねん。 画家のゴッホを見てみィ~なァ。 ゴッホは死んでから世に認められたのやでぇ~。 めれちゃんも知ってるやろう?

知ってますう。

めれちゃんのお気に入りのカフカかてぇ、世界的に認められるようになったのは死んでからのことなのやでぇ~。。。


フランツ・カフカ

(Franz Kafka)




誕生: 1883年7月3日
オーストリア=ハンガリー帝国、プラハ
死没: 1924年6月3日(満40歳没)

フランツ・カフカは、出生地に即せば現在のチェコ出身のドイツ語作家。
プラハのユダヤ人の家庭に生まれ、法律を学んだのち保険局に勤めながら作品を執筆、常に不安と孤独の漂う、夢の世界を思わせるような独特の小説作品を残した。
その著作は数編の長編小説と多数の短編、日記および恋人などに宛てた膨大な量の手紙から成る。

生前は『変身』など数冊の著書が知られるのみだったが、死後に友人マックス・ブロートによって未完の長編『審判』『城』『失踪者』を始めとする遺稿が発表されてから再評価を受けた。
特に実存主義から注目されたことによって世界的なブームとなった。
現在ではジェイムズ・ジョイス、マルセル・プルーストと並び20世紀の文学を代表する作家と見なされている。

人柄

生前のカフカについては友人、知人たちによる多くの証言が残っている。
それらによればカフカはいたって物静かで目立たない人物であった。
人の集まる場ではたいてい聞き役に回り、たまに意見を求められるとユーモアを混じえ、時には比喩を借りて話し、意見を言い終わるとまた聞き役に戻った。
職場では常に礼儀正しく、上司や同僚にも愛され、敵は誰一人いなかった。
掃除婦に会った際にも挨拶を返すだけでなく、相手の健康や生活を案じるような一言二言を必ず付け加えたという。
掃除婦の一人はカフカについて「あのかたは、ほかのどの同僚ともちがっていました。まるきり別の人でした」と話している。

晩年は年少者の人の相談や対話の相手をすることも多く、1919年にサナトリウムで出会った少女ミンツェ・アイスナーとは死の年まで文通が続いた。
1920年には職場の同僚の息子で作家志望の青年であったグスタフ・ヤノーホと知り合い、後々まで彼の対話の相手となった。
ヤノーホは後にこの体験を回想して『カフカとの対話』(1951年)を執筆し、後のカフカ受容に影響を与えることになる。
1921年からは16歳年下の医学生ローベルト・クロプシュトックとも親しくなり、作家に憧れて進路に悩んでいた彼の相談相手になった。

カフカの晩年のエピソードとして、ドーラ・ディアマントより次のような話が伝えられている。
ベルリン時代、カフカとドーラはシュテーグリッツ公園をよく散歩していたが、ある日ここで人形を失くして泣いている少女に出会った。
カフカは少女を慰めるために「君のお人形はね、ちょっと旅行に出かけただけなんだ」と話し、翌日から少女のために毎日、「人形が旅先から送ってきた」手紙を書いた。
この人形通信はカフカがプラハに戻らざるを得なくなるまで何週間も続けられ、ベルリンを去る際にもカフカはその少女に一つの人形を手渡し、それが「長い旅の間に多少の変貌を遂げた」かつての人形なのだと説明することを忘れなかった。

生前の評価

カフカの生前の名声はささやかなものではあったが、(主に同業者などの)少数の読者に注目されており、決して無名の作家だったわけではない。
カフカについての公刊された最も早い評は友人マックス・ブロートによるもので、1907年2月にベルリンの雑誌『現代』にて、著作家・編集者フランツ・ブライと同じ傾向をもつ作家としてハインリヒ・マン、フランク・ヴェーデキント、グスタフ・マイリンクとともにカフカの名を挙げた。
このときカフカは知人の前で作品を朗読していたのみで、まだ出版物には1作も発表していなかった。

死後の名声

カフカの死後、友人マックス・ブロートが遺稿を整理し、『審判』(1925年)、『城』(1926年)、『アメリカ』(1927年)と未完の長編を続けて刊行していった。
1926年には、カフカを認めていたドイツの批評家・編集者のヴィリー・ハースが雑誌『文学世界』でカフカの特集を組んでいる。
1931年には未完の短編を集めて『万里の長城』が刊行され、1935年からはナチス政権下で困難に遭いながらカフカ全集の刊行が行なわれた。
後述するようにブロートやハースはカフカをユダヤ教に引き付ける作品解釈を行い、1930年代までにいくつかのカフカ論を発表しているが、しかしカフカの名声が高まっていくのはまずドイツ語圏の外においてであった。

フランスでは1928年に、代表的な文芸誌『新フランス評論』にてA・ヴィアラットによる『変身』の仏訳が3号にわたって掲載され、続いて1930年にはピエール・クロソウスキーによる「判決」の仏訳が、1933年にはヴィアラットの訳による『審判』が出ている。
これらの作品はまずシュルレアリストたちによって注目され、シュルレアリスムの指導者であるアンドレ・ブルトンをはじめ、マヤ・ゴート、マルセル・ルコントらがカフカに言及した。彼らのカフカへの理解はブロートやハースらによる宗教的解釈に沿ったものであったが、特にその夢と現実が入り混じったような表現に注目し、カフカをシュルレアリスムの先駆者と見なした。

第二次大戦中、フランスでは実存主義の文学が盛んになり、カフカはサルトル、カミュら実存主義の文学者たちから注目された。
サルトルはカフカへのまとまった文章は残していないものの、カフカを実存主義文学の先駆者として評価し、書評やエッセイなどで頻繁にカフカに言及している。
またサルトルはハイデガーの思想における「現存在」「実存」「真正」といった範疇もカフカの作品を通じて立証しようとした。



Albert Camus (アルベール・カミュ)

カミュは「フランツ・カフカの作品における希望と不条理」(『シーシュポスの神話』付録、1943年)において、カフカの作品を実存主義の文脈における「不条理な作品」と見なし、『審判』などの作品を評価した。
これらの実存主義文学における評価によって、カフカの国際的な名声は決定的なものとなった。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




でも、わたしには、カフカの友人のマックス・ブロートのような人物が居(お)りまへん。



居るやんかァ!

どこに。。。?

めれちゃんの目の前に居るやんか!

わたしの目の前ってぇ、あんさんしか居(お)りまへん。

だから、わてがめれちゃんのために“マックス・ブロート”の役を務(つと)めているのやがなァ~。。。


(laugh16.gif)


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