分かり合えない夫婦(PART 1)
ネットでお互いの結婚の愚痴を
こぼし合っていた
“ネットの恋人”が、
いざ会って見ると、相手は
その不幸な結婚の伴侶だった
Monday, September 17, 2007
オンラインのチャットでお互い相手を知らないまま
結婚生活のグチを語り合い、二人は恋に落ちてしまった。
しかし、初めてオフラインで会った時、
相手が自分の結婚相手であることが分かった。
それから、どうなったのか?
イギリスのサイトに載っていた記事によると、
Sanaさん(27才)と夫のAdnanさん(32才)は
それぞれ“Sweetie” “Prince of Joy”というハンドル名で
結婚生活のグチをお互いに打ち明けあっていました。
意気投合した二人は、お互いに残りの人生を捧げられるほどの
“心の恋人”だと考えるようになりました。
そのようにしてチャットを通じて親密感を増していった二人は
会うことに決めました。
しかし、現実世界でデートをすることになった二人は会ってみてビックリ!
なんと、相手は自分の妻であり夫だったのです。
Sanaさんは次のように言っています。
「私はいつの間にか恋に落ちていました。自分と同じように悲惨な結婚生活を過ごしていることに、身のつまされるような思いでした」
「でも、相手が自分の夫だと分かったとき、私は裏切られたと感じましたわ」
一方、夫のAdnanさんは次のように言っています。
「何年も甘い言葉をかけてくれなかった妻と素晴らしい文章の書けるSweetieが同一人物だったなんて。。。まだ信じられませんよ!」
仲直りするどころか、お互いに裏切られた!許せない!と落胆して離婚してしまったのです。
『Cyber cheats married... to each other』より
『あなたのロマン』に掲載
(2007年9月28日)
デンマンさん。。。上の記事は2年前の記事ですよねぇ。
そうですよう。Sanaさん(27才)と夫のAdnanさん(32才)の奇妙な愛について語り合ったのですよう。
どうして、また持ち出してきたのですか?
古くて新しい話題だからですよう。
どう言う事ですか?
“恋は盲目”
レンゲさんも聞いたことがあるでしょう?
もちろんありますわ。
愛は激しければ激しいほど、熱烈に愛すれば愛するほど前頭葉の理性回路を麻痺させてしまうのですよう。つまり、理性的な判断ができなくなってしまう。思慮分別がなくなってしまうのですよう。そういう事を“恋は盲目”と言うのだと僕は理解しているのですよう。
それがタイトルの『裏切られた愛』と関係あるのですか?
ありますよう。激しい愛、激しい恋は、その副作用として理性や知性を盲目にしてしまう。つまり、正常な思慮分別ができなくなってしまう。だから、Sanaさん(27才)と夫のAdnanさん(32才)のように、別れる必要が無いのに別れてしまったりする。
どうして、そのことが“恋は盲目”と関係あるのですか?
要するに、Sanaさんと夫のAdnanさんが相手の正体を知らずにネットで恋に落ちた。理想の相手を見つけたと思った。でも、現実の世界で会ってみると、その相手が自分の夫であり、妻であると知った。激しい愛・激しい恋の反動で2人の前頭葉の理性回路が麻痺してしまったのですよう。
つまり、2人が冷静になって考えて居たら、別れることもなかったとデンマンさんはおっしゃるのですか?
そうですよう。Sanaさんと夫のAdnanさんのニュースを紹介した記事には、たくさんのコメントが付いているのですよう。
確か、デンマンさんはそのうちの1つを取り上げていましたよね?
そうですよう。破局を迎えてしまったこの二人には最もふさわしいアドバイスだと思って取り上げたのですよう。ちょっと読んでみてください。
笑って仲直りしたらいいのよね。
Prime example why trust is so important and not to tell your personal business to just anyone, especially over the internet.
These to have what it takes to start over again.
They actually found out through one another over the internet what is needed to make a marriage work.
Now all they have to do is forgive, let go and apply into their marriage exactly what they discovered while courting online.
Simple fix!!! To top it all off, they can actually laugh now.
- Monica L. Greene, Opelousas, USA
信頼という事がいかに大切かと言う事を教えてくれる最高のエピソードだと思うわ。
個人情報をバラしてしまってはいけないのよね。特にネットではね。
このカップルはもう一度やり直す絶好の機会を持ったのよ。
この二人は、実は、結婚生活をもっとうまくやってゆくために必要なものをネットでのチャットを通して見つけ出したのよね。
この二人がやらなければならない事は、お互いを許し合うことなのよ。
過去のことを忘れ、ネットで“心の恋人”として付き合いながらお互いに発見しあったモノを結婚生活に生かしてゆくべきよ。
簡単な事なのよ。 過去のイヤな事など笑い飛ばして仲直りすればいいのよ。
それができるのだから。。。
by モニカ・グリーン アメリカ、ルイジアナ州、オペルーサス市在住
【デンマン訳】
『Cyber cheats married... to each other』のコメント欄より
『あなたのロマン』に掲載
(2007年9月28日)
僕もモニカさんに全く同感ですよ。
でも、あたしにはSanaさんの気持ちが分かるような気がしますわ。
レンゲさんは裏切られたと感じてしまうのですか?
だって。。。Adnanさんは、現実の結婚生活でSanaさんに対して素晴しい“心の恋人”の面を見せなかったのですわ。だから、その“心の恋人”が自分の夫だと分かった時にSanaさんは裏切られたと感じたのですわ。
しかし、それはお互い様でしょう?なにもAdnanさんだけが悪いのじゃない。Adnanさんだって、同じような気持ちになったのですよ。だから、お互いがもっと謙虚になって、素直な心で過去の“いたらなかった事”を認め合い、許し合い、仲直りをすればいいのですよ。
『裏切られた愛 (2009年6月13日)』より
『第三の女 (2010年7月20日)』に掲載
デンマンさん。。。あんさんは夫婦というものは理解し合っているようで理解していないと言いたいん?
その通りやァ。めれちゃんかてぇ、そう思うことがあるやろう?
でも、それはカップルによりけりですわ。
あのなァ~、完璧な夫婦なんて居ないねん。
あんさんは、どうしてそのような悲観的な事を言わはるのォ~?
そやかてぇ、人間は誰でも不完全やさかいに、不完全な男と不完全な女が結ばれて完璧な夫婦になるなんて最初から無理なことやでぇ~。
そやけど、お互いに欠けた部分や、いたらない部分を補って、完璧な夫婦になることは可能ではおまへんのォ~?
それは言葉の綾(あや)やでぇ~。結婚式の時などに、そないな事をよく言う人がおるけれど、それは幻想やでぇ~。
あんさんは、どうして、そのような消極的なことしか言えへんのォ~?
わては、悲観的でも、消極的でもあらへん。。。ただ、現実を直視しているだけやでぇ~。。。
つまり、男と女は理解し合えない宿命にあると、あんさんは言いたいん?
いや、男と女に限ったことではないねん。。。人間は不完全な生き物やから、最初から完璧を望むことに大きな間違いがあるねん。
つまり、どれほど愛し合って結ばれても、所詮、男と女は理解し合えないで別れる運命にあると、あんさんは言いたいん?
その答えは、すでにSanaさんとAdnanさんのエピソードの中に書いてあるやん。
Sanaさんと夫のAdnanさんは
それぞれ“Sweetie”
“Prince of Joy”というハンドル名で
結婚生活のグチを
お互いに打ち明けあっていました。
意気投合した二人は、
お互いに残りの人生を捧げられるほどの
“心の恋人”だと考えるようになりました。
そのようにしてチャットを通じて
親密感を増していった二人は
会うことに決めました。
しかし、現実世界で
デートをすることになった二人は
会ってみてビックリ!
なんと、相手は
自分の妻であり夫だったのです。
この上の部分を読んだだけでも、夫婦ってお互いを良く理解してないことが分かるやろう?
そやけど、すべての夫婦が別れているわけではおまへん。
そらそうや。。。でも、別れる寸前のところまで経験している夫婦は仰山(ぎょうさん)おるのやでぇ~。
そうやろか?
プッチーニとエルヴィーラかて熱烈に愛し合って駆け落ちまでして結ばれたのやがなァ。それなのに破局の一歩手前まで行ったのやでぇ。
駆け落ち スキャンダラスな恋
1884年は、プッチーニの人生にとって大きな影響を与えた出来事が続いた。
『妖精ヴィッリ』の初演に加え、ひとつは先に述べたとおり、母アルビーナが亡くなったことであり、もうひとつは生涯の妻となる女性エルヴィーラとの恋であった。
プッチーニは、この年に彼女と同棲を始めている。
しかし、彼女との結婚生活はけっして幸せなものとは限らなかった。
エルヴィーラ・ボントゥ-リ・ジェミニアーニは人妻であった。
金髪の豊満な美人だったと伝えられており、現在残されている晩年の写真からも、若い頃の彼女の美しさをうかがい知ることができる。
プッチーニとエルヴィーラは、彼女が食料品の卸しを手がけていたナルチーゾ・ジェミニアーニと結婚する以前からの顔見知りであったらしい。
ナルチーゾ・ジェミニアーニはプッチーニの学友とされているが、どの時点での学友であったのかははっきりしない。
ともかくミラノで知り合ったプッチーニとエルヴィーラは恋に落ち、エルヴィーラは夫を捨てて、夫ナルチーゾとのあいだにできたフォスカという娘を連れてプッチーニと暮らしはじめた。
彼女にはジェミニアーニとのあいだにもう一人、フォスカよりも三歳年下のレナートという子供もいたが、その子は夫のもとに置いたまま駆け落ちをした。
その二年後の1886年には、二人のあいだにアントーニオという息子が生まれるのだが、エルヴィーラとナルチーゾ・ジェミニアーニの離婚が成立しなかったために、ナルチーゾが死亡する1904年まで、プッチーニとエルヴィーラは正式な夫婦とは認められなかった。
37-38ページ 『プッチーニ』
著者: 南條年章
発行所: 音楽之友社
2004年8月5日第1刷発行
しかし、これほど愛し合って結ばれたのに二人はお互いを理解し合っていたとは言えへん。
あんさんは、どうして、そのような事を言わはるのォ~?
ドリア事件の時のプッチーニの精神状態を見れば良く分かるねん。
ドリア事件
ドリア・マンフレディ
ジャコモ・プッチーニ
エルヴィーラ・プッチーニ
エルヴィーラのドリアに対する「いじめ」は言葉による暴力であり、尋常なものではなかった。
ドリアを解雇した後も、エルヴィーラは村の住民たちに、いかにドリアがふしだらな娘であるかを吹聴(ふいちょう)したばかりか、たまたま道でドリアを見かけたときなどは、周囲に人々がいるにもかかわらず、ドリアのことを「妾(めかけ)」と罵(ののし)り、「湖に沈めてやる」とまで脅迫した。
またドリアの家へも押しかけ、彼女の母親に向かって「いまだに逢引(あいび)きをしている」とか「伯父が連絡役をしている」だとか、明らかに妄想から出たとしか思えないような中傷をわめき散らしたといわれる。
そのうえ村の教区司祭を訪れて、ドリアのような娘は村から追放すべきだとまで提言した。
エルヴィーラの常軌を逸した言動にプッチーニは深く傷ついたけれども、このときの彼の行動は、客観的に見るといささか無責任に思える。
村を離れてパリへ行ってしまうのである。
この事件がおきてからプッチーニがどのようにして問題の解決に立ち向かったのか、具体的に知ることはできない。
シビルにあてて頻繁に手紙を送り、いかにひどい状態であるかを知らせている。
その手紙の中では、エルヴィーラとの結婚生活は地獄であり、自殺も考え、彼女とはもう一瞬たりとも一緒に暮らせないだろうとまで述べている。
121-122ページ 『プッチーニ』
著者: 南條年章
発行所: 音楽之友社
2004年8月5日第1刷発行
『蝶々夫人 (2010年3月24日)』に掲載
そやけど、プッチーニとエルヴィーラは別れへんかったでぇ~。
プッチーニにしてみれば、別れたいけれど別れられへんかったのやろなァ。
どうして。。。?
駆け落ちまでして一緒になったのやでぇ~。社会的な体裁(ていさい)をプッチーニかて考えたやろなァ。
世間体(せけんてい)でおますか?
そうやァ。友達の奥さんを奪って、駆け落ちし、その内縁の妻が嫉妬に狂って21歳の女を自殺に追い込み、その挙句に、その内縁の妻を捨てたら、カソリックのイタリアでは、プッチーニの作曲家としての名誉も、評判も地獄に落ちてしまうやろなァ。
。。。で、プッチーニとエルヴィーラは、どうすべきやったと、あんさんは言わはるのォ~?
そやから、プッチーニに“愛のポケット”が3つあることをエルヴィーラが理解して認めていれば、すべてがうまくいったのやがなァ。
(すぐ下のページへ続く)