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イヴォンヌの香り

2013年08月01日 13時01分12秒 | 洋画1994年

 ☆イヴォンヌの香り(1994年 フランス 90分)

 原題 Le Parfum d'Yvonne

 staff 原作/パトリック・モディアノ『イヴォンヌの香り』

     監督・脚本/パトリス・ルコント

     撮影/エドゥアルド・セラ 特殊効果/ジャン=ピエール・スーシェ

     美術/イヴァン・モシオン 衣装デザイン/アニー・ペリエ・ベルトー

     メイク/ジスレイン・トルトゥノー 音楽/パスカル・エスティーヴ

 cast イポリット・ジラルド サンドラ・マジャーニ ジャン・ピエール・マリエル

 

 ☆1958年、夏

「愛し過ぎるか、愛が足りないのかが、人間だ」

 どうしたところで、男と女は性の価値観もちがえば、人生に対する考え方も異なる。そんなことないよっていう向きもあるかもしれないけど、この映画には、そうした男と女とゲイの典型が描かれてる。もちろん、三人とも大仰な描かれ方ではあるけど、それなりに納得する。男は常に女の官能を見つめる側で、女は常に男の衝動を受け止める側で、ゲイであり、かつ老いてしまった人間は、男と女の愛の遣り取りの目撃者となる。男がロシア貴族の末裔であるかないか、女が女優を目指していたのかいないのか、ゲイが医師であり、かつアルジェリア紛争の地下組織に絡んでいるのかいないのか、そんなことはどうでもいい。

 かれらはレマン湖のほとりでひと夏を過ごし、男は女を愛しながらも愛が足りなかったために我儘な発想をして彼女を女優として大成させようとアメリカ行きを切望するけど、女は男を愛しすぎてしまったために相手の夢を壊してしまい自分が棄てられるのを恐れるためスイスに残ることを決める。ただ、男は結局のところ女を忘れることができずに12年後ふたたびレマン湖を訪れ、夢破れて相手も仲間もほんの少し残っていた活力も失ってしまったゲイと再会するけど、そこにはもう女はいなくて、おそらくその日暮らしのような恋を続けているに違いないと、取り残されたふたりは過去を回想することしかできなくなってしまってる。

 なんてまあ、寂しい映画なんだろう。

 恋をしているとき、人は生気に満ち溢れてる。

 レマン湖をゆく船の上でパンティを脱いで「これをわたしだとおもって」とかいって、さりげなく男のポケットに突っ込むのも、恋をしているから官能的な遊びに感じるけど、そうじゃなかったら、ただのアホ臭い行為でしかない。そんな官能のくすぐり方やくすぐられ方もさることながら、どうしてパトリス・ルコントは寂しくも儚い中年男の回想にしか興味がないんだろ?ルコントにとって男っていうどうしようもない生き物は、テーブルの下で絡んでくる女の脚に官能を疼かせ、彼女の育った部屋で彼女のすべてを知ることにかぎりない喜びを感じ、彼女の美しさも愚かしさもなにもかも冷静に観ている親族の言葉を無視し、ひたすら相手に溺れ、恋をする自分に自己陶酔し続けるしかない存在なんだろか?

 ま、そんなことをおもいながら映画を愉しんだけど、まわりの自然や衣装や調度や車や街の美しさがあるから、サンドラ・マジャーニの容貌と肢体が際立つんで、ロケーションの大切さを、ルコントはこれでもかってくらいに語ってくれる。それにしても、きぬぎぬの朝に流すサンドラ・マジャーニの涙はなんとも印象的で、彼女がいかにイポリット・ジラルドを愛しながらも、男の夢に自分が組み込まれてしまうことに恐れ、戸惑い、失望し、これが最後の交合なのよって囁こうとしているかをその涙だけで表現しちゃうんだから、たいしたもんだよね。いや、まったく、唐突な別れほど、相手を忘れられなくするものはないってことを、中年男の指南役ルコントは、よく知ってるわ。

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