狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

新年にあたっての、私の現在の迷いと考え

2013-01-07 23:52:56 | エッセイ・コラム
 次のドキュメンタリーを見ました。
 「NNNドキュメント'12~『戦場に咲いた小さな花 山本美香という生き方』 」(読売テレビ(日本テレビ系)2012年10月15日0:50~)
 昨年8月20日シリア内戦の取材中に銃撃されて亡くなられたジャーナリスト山本美香氏は、イラクアフガニスタン等の紛争・戦争地で長年取材して来られ、特に女性や子供を取り上げて、下層の声にならない人達の訴えを、世界に伝える役割を果たして来られました。
 父親が新聞記者であった事からその血・センスが受け継がれていた事も有り、若い時からジャーナリストに志望して大学卒業後に大手マスコミに記者として入社しましたが、その後に事務職への配置転換命令に不満を抱いて退社し、飽く迄も記者を貫きたい世界各地の現地取材を通して記者としてもっと極めたい事からフリーランスとなり、後に独立系の通信社記者として一生を全うしました。
 その様に若い頃からの強い意志が途切れる事無く亡くなるまで活躍されて来られましたが、その「天命」ともとれる働きは、若い頃から山本氏に神様からの心への働きかけが有ったのではないかと思えます。
 実は私は、現在少し迷いの中に在ります。聖書を根拠に考えるに当たり、世のものに関しては軽んじる事が良いとされますが、一方、この世で生きる為には、糊口を凌ぐと言う意味で何かしら仕事はしなければならないと言う事があります。人其々に「運命」が有り、人其々の仕事において持ち分を発揮すれば良く、何も人の真似をする必要も有りません。私にも私独自の「運命」が在る訳です。大事なのは、神様の御心そのままに私が行うと言う事です。つまりそれが「運命」に従う、神様に従うと言う事です。
 つまり、神様が私に何を望んでいるのかが解りません。昔の聖書に記載のある預言者達の様に、神様から直接語ってくれれば良いのですが、私の信仰の浅さ、祈りの少なさから、私には語ってはくれません。まだまだ世のものを重んじている部分があって捨てていないものが多いからでもある様に思います。よって、日々の生活の中から、神様が私に暗示的に示されている事に気付くしかない様に思います
 また、現在何かに対してのモチベーションが上がらない、私の心の中の霊が奮い立たされない事が有ります。自分で敢えて考えなくとも、自然と内から湧いて来るものが有りません。神様からインスピレーションインスパイア―、インセンティブが心に与えられていない様に感じます。自分の欲望は殆ど無くなっているので、そこからのやる気と言うのも起こり得ません。
 因みに、私は元々「世間」を基準にする事は有りませんでしたが、今現在と異なるのは、「聖書」では無く「自分」を基準にしていたと言う事です。全てを「自分の考え」で行って来て、神様には背を向けていました。今後はそうでは無く、全てにおいて神様の考えに則って行う様にするという事です。
 アッシジのフランシスコの場合は「手仕事」と表現した様に、道徳的に間違った事で無ければ特に種類にこだわる必要は無いと思っています。仕事の種類によって神様は違った見方をする訳では有りません。
 今現在、自分の欲望は殆ど無くなりましたが、自分の考えや意志をも捨てて神様に従う事が今後は必要です。神様が私を通して行う様にして下さる様に、つまり神様の御心に適う様に行なう事が必要で、自分の考えで行うのでは無いと言う事です。神様の「業(わざ)」が私を通して、私を使って現される様に、キリストへの信仰を持ってその事が実現する様に祈る事です。
 私が尊敬するアッシジのフランシスコの様に、世を軽んじ、全てを捨て、清貧・純潔・謙遜・愛・(神様に)従順であり、「神様の道化師」となれる様に私は願います神様に「全き心」を持って、神様の御心のままに私が神様に使われる事を望みます
 アッシジのフランシスコと同様に、良寛鴨長明も自ら望んで貧乏となった「志願貧乏」になった事に対し、私は敬意を払います。ただ、仏教の場合は世の俗物から逃れる事だけを勧めますが、キリスト教の場合は世の中での苦しみから逃れるのでは無く、それに立ち向かう事を勧めています。私はその両方(世から逃れる事と苦しみをあえて受ける事)を持ってバランスを取る様にしようと思います。今までのマイペースの部分も残しておいた方が良いと思います。
 ですので、私は世間からは認められたく有りません。逆に、神様から認めてもらいたいと思います世間からは何かと所有する事によって認められますが、神様は世の物事を軽んじてそれらを捨てる事を喜びます。何かと所有するとは、財産・お金・学歴・資格・肩書き・名声・名誉・知識等です。世のものを捨てて神様に「全き心」を持って神様に仕える事です

 



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