狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

三島由紀夫氏「檄」と世間の人達・・・レジャーやショッピングにうつつを抜かし……

2016-04-10 16:10:23 | 世間・空気
 三島由紀夫氏の最後の声明文「檄」より

   「三島自身の見てきた戦後日本の、『経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆく』姿、『政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆく』国となってしまったことを憂い……」(ウィキペディア「檄 (三島由紀夫)」より引用)

 私は土曜日は仕事であるが、世間一般的には休みの人達が多く、車での帰路の道はレジャーがらみの車で混雑し渋滞していて、いつもうんざりさせられている。つくづく、「世間の人達は行列に並ぶ事が好きやなぁ」と思っている。少しテレビ等のマスコミが紹介すると、店の前で行列を作る。付和雷同して行列を作る様にして、みんな同じ方向を向き、同じ事を言って、同じ事をしている。その様な世間の多くの人達について、三島由紀夫氏の「檄」の言葉を借りて次の様に言い換える事が出来る。
 レジャーやショッピングにうつつを抜かし、レジャーやグルメにうつつを抜かし、レジャーや博打にうつつを抜かし……。
 マスコミはユダヤの「3S謀略」である「スポーツ」、「セックス」、「スクリーン」を垂れ流し、それに加えて、仕事・生活・車等の効率重視である+1S「スピード」を世間の人達は求めている。これらにより、戦後の日本人は抵抗・反抗・反発をしない「骨抜き」にされたのである。「反骨精神」の無い「平和ボケ精神」となってしまったのである。
 思想が無く、修養・修行の精神から逸れて精神的に怠惰・堕落・弛緩の傾向に在り、危機意識を持たず、自立意識・自律意識が低下して、他者に依存する甘えの状態に在る多くの世間が周囲に存在する中において、この三島由紀夫氏の「檄」の言葉は、鮮烈で、新鮮で、特異な光を放つ様に、私には感じるのである。

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   ・2012/12/14付:「占領下日本、目先の利益しか興味の無い世間、二枚舌米国、支配階級の悪」
   ・2013/06/28付:「『ユダヤが解ると世界が見えてくる』の再読(3)・・・三島由紀夫氏の『憂国』と自決直前の『檄』」
   ・2013/07/29付:「スピード・効率化の追求が、人間の思考を奪っていく」
   ・2014/12/07付:「世間に迎合する政治家・・・『経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、・・・』」
   ・2015/03/22付:「世間は常に同じ方向を向いている・・・『高学歴の本質は、奴隷従順歴』、『化学的愚民化政策』

 引用記事
  「檄 (三島由紀夫)」

 関連動画
 

YouTube:三島由紀夫 - 檄


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