総タイトル:【911テロ、イラク侵攻、アフガニスタン侵攻の虚構・・・米国の自作自演、ビンラディン氏の2001年死亡、フセイン元大統領の生存】
2003年3月20日に開戦された、米国とそれに追従する英国等の「イラクへの侵攻・侵略による戦争」から10年、イラクでは劣化ウラン弾使用による内部放射線被曝等の影響によって、先天性異常・障がいの子供が多数生まれています。又、1991年の湾岸戦争も含めて、米軍兵士への出征前の対化学戦用ワクチン投与による副作用や、帰還後のPTSD等の精神疾患に対する過剰な精神薬の投与による副作用によって、多くの退役軍人が精神疾患や身体疾患に陥る「湾岸戦争症候群」となってしまっています。
2001年9月11日に起こされた、米国の自作自演による「アメリカ同時多発テロ事件」、いわゆる「911」は、その後のアフガニスタンとイラクへの侵攻・侵略の「動機付け」として「創作」されました。軍産複合体や石油等エネルギー業界、石油化学製品業界、製薬業界等の利権の追求・獲得の為に行なわれました。
2001年10月7日に始められた、米国とそれに追従するNATOの国際治安支援部隊(ISAF)によるアフガニスタン侵攻・侵略は、当時のタリバン政権が米国が勝手にテロの首謀者として決めつけたウサマ・ビン・ラディン氏とその創始組織アルカーイダを引き渡さなかった事を理由として始めました。
しかしウサマ・ビン・ラディン氏は、実は2001年に既に死亡していました。ウサマ・ビン・ラディン氏の父はジョージ・H・W・ブッシュ第41代米国大統領と、ウサマ・ビン・ラディン氏自身はジョージ・W・ブッシュ第43代米国大統領と長年石油ビジネスでの協力関係に在りました。ウサマ・ビン・ラディン氏が晩年に腎臓疾患を患って入院したのは、アラブ首長国連邦ドバイの「アメリカン病院」と言う米国資本の病院でした。又、アフガニスタン侵攻・侵略時には、米国はウサマ・ビン・ラディン氏の家族を米国に避難させて、大事に保護しました。
その様に敵の居ない「虚構の戦争」でありましたが、アフガニスタン侵攻・侵略の本当の目的は、中央アジアのカスピ海付近に大量に埋蔵する石油と天然ガスのパイプラインを引く事でした。ウズベキスタンやトルクメニスタン等からアフガニスタンを経て、パキスタンのアラビア海沿岸までパイプラインを引き、其処から直接それらのエネルギー源を輸送しようとしました。他のルートの場合、ロシアやイランに依頼せねばならず、それらを避ける為にはアフガニスタンを支配する必要がありました。
2003年に始まった 米国と英国等によるイラクへの侵攻・侵略においては、1991年の湾岸戦争後のイラク武装解除と言う名目の下に、実際は存在しなかった大量破壊兵器の存在を証拠も無しに米国が勝手に断定して起こされました。その後、英国のブレア元首相はこのイラク侵略での戦争犯罪を議会で追求され、喚問を受けました。又マレーシアでは、ジョージ・W・ブッシュ元大統領とブレア元首相を、戦争犯罪者として有罪判決を下しました。マレーシアのクアラルンプールの戦犯法廷は、米国主導によるイラク侵略を反対していたマハティール元マレーシア首相の指揮によって始められたものです。一方日本では、当時の小泉純一郎元首相への訴追の動きは、残念ながら全く有りません。外務省も、当時の事を国民等が早く忘れてしまい、触れて欲しくない様に願っています。
そのイラク侵略当時のイラクのサダム・フセイン元大統領兼首相も、1991年の湾岸戦争以前から長年米国に協力・貢献して来ました。表面的には敵対関係を装って来ましたが、実際は米国と裏で繋がっていました。1980年~1988年のイラン・イラク戦争においては、1979年のイラン革命の影響の拡大を恐れる事から、米国はイラクを支援していました。それ故に、サダム・フセイン元大統領兼首相は米国の功労者である為に、戦後に死刑となったのは影武者で、現在も米国に保護されて生存しています。
その様に、世界は虚構の上に成り立っています。現在、一国をも潰してしまう程の金融至上市場原理主義等は、その最たるものです。
因みに、アフガニスタンのパシュトゥン人は、パレスチナ人と同じ様に本物のユダヤ人です。
以下に、関連動画を添付します。↓↓
次の動画は、Part1~Part2の2分割となっています。↓↓
2003年3月20日に開戦された、米国とそれに追従する英国等の「イラクへの侵攻・侵略による戦争」から10年、イラクでは劣化ウラン弾使用による内部放射線被曝等の影響によって、先天性異常・障がいの子供が多数生まれています。又、1991年の湾岸戦争も含めて、米軍兵士への出征前の対化学戦用ワクチン投与による副作用や、帰還後のPTSD等の精神疾患に対する過剰な精神薬の投与による副作用によって、多くの退役軍人が精神疾患や身体疾患に陥る「湾岸戦争症候群」となってしまっています。
2001年9月11日に起こされた、米国の自作自演による「アメリカ同時多発テロ事件」、いわゆる「911」は、その後のアフガニスタンとイラクへの侵攻・侵略の「動機付け」として「創作」されました。軍産複合体や石油等エネルギー業界、石油化学製品業界、製薬業界等の利権の追求・獲得の為に行なわれました。
2001年10月7日に始められた、米国とそれに追従するNATOの国際治安支援部隊(ISAF)によるアフガニスタン侵攻・侵略は、当時のタリバン政権が米国が勝手にテロの首謀者として決めつけたウサマ・ビン・ラディン氏とその創始組織アルカーイダを引き渡さなかった事を理由として始めました。
しかしウサマ・ビン・ラディン氏は、実は2001年に既に死亡していました。ウサマ・ビン・ラディン氏の父はジョージ・H・W・ブッシュ第41代米国大統領と、ウサマ・ビン・ラディン氏自身はジョージ・W・ブッシュ第43代米国大統領と長年石油ビジネスでの協力関係に在りました。ウサマ・ビン・ラディン氏が晩年に腎臓疾患を患って入院したのは、アラブ首長国連邦ドバイの「アメリカン病院」と言う米国資本の病院でした。又、アフガニスタン侵攻・侵略時には、米国はウサマ・ビン・ラディン氏の家族を米国に避難させて、大事に保護しました。
その様に敵の居ない「虚構の戦争」でありましたが、アフガニスタン侵攻・侵略の本当の目的は、中央アジアのカスピ海付近に大量に埋蔵する石油と天然ガスのパイプラインを引く事でした。ウズベキスタンやトルクメニスタン等からアフガニスタンを経て、パキスタンのアラビア海沿岸までパイプラインを引き、其処から直接それらのエネルギー源を輸送しようとしました。他のルートの場合、ロシアやイランに依頼せねばならず、それらを避ける為にはアフガニスタンを支配する必要がありました。
2003年に始まった 米国と英国等によるイラクへの侵攻・侵略においては、1991年の湾岸戦争後のイラク武装解除と言う名目の下に、実際は存在しなかった大量破壊兵器の存在を証拠も無しに米国が勝手に断定して起こされました。その後、英国のブレア元首相はこのイラク侵略での戦争犯罪を議会で追求され、喚問を受けました。又マレーシアでは、ジョージ・W・ブッシュ元大統領とブレア元首相を、戦争犯罪者として有罪判決を下しました。マレーシアのクアラルンプールの戦犯法廷は、米国主導によるイラク侵略を反対していたマハティール元マレーシア首相の指揮によって始められたものです。一方日本では、当時の小泉純一郎元首相への訴追の動きは、残念ながら全く有りません。外務省も、当時の事を国民等が早く忘れてしまい、触れて欲しくない様に願っています。
そのイラク侵略当時のイラクのサダム・フセイン元大統領兼首相も、1991年の湾岸戦争以前から長年米国に協力・貢献して来ました。表面的には敵対関係を装って来ましたが、実際は米国と裏で繋がっていました。1980年~1988年のイラン・イラク戦争においては、1979年のイラン革命の影響の拡大を恐れる事から、米国はイラクを支援していました。それ故に、サダム・フセイン元大統領兼首相は米国の功労者である為に、戦後に死刑となったのは影武者で、現在も米国に保護されて生存しています。
その様に、世界は虚構の上に成り立っています。現在、一国をも潰してしまう程の金融至上市場原理主義等は、その最たるものです。
因みに、アフガニスタンのパシュトゥン人は、パレスチナ人と同じ様に本物のユダヤ人です。
以下に、関連動画を添付します。↓↓
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YouTube: イラク戦争から10年 新生児に異変 その原因は? (高遠菜穂子さんのファルージャ現地調査)
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YouTube: 130411 高遠菜穂子氏報告会「イラク戦争から10年、子どもたちの未来が奪われている。イラク・ファルージャ調査報告会」_HL
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YouTube: ブッシュ、ブレア氏 イラク戦争犯罪有罪判決 マレーシア裁判 #midjp #syrjp
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YouTube: アフガニスタン戦争の真の理由
次の動画は、Part1~Part2の2分割となっています。↓↓
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YouTube: ビン・ラ-ディンは2001年に死亡 Part1
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