狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

やはり世間の多くは見聞きしても解らん?イエスキリストが用いた預言の成就/Can't after all most masses understood with looking and hearing?

2021-10-26 00:30:00 | 世間・空気
 <※本当の投稿日時
  True posted date & time:2021/10/24 03:58>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)




 やはり世間の多くは見ても聞いても解らへん?
  準備無き不純な心に幾ら教えても無駄である
   イエス・キリストが旧約聖書から引用したイザヤの預言が成就した現代社会
 Can't after all most masses understood with watching and hearing?
  However teach to heart which is impurely without preparations, it is wasteful.
   Modern society which Isaiah's prophecy which Jesus Christ quoted from the Old Testament accomplished.


 
 



 新約聖書・マタイの福音書13章14~15節
  こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。
   『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。
   確かに見てはいるが、決してわからない。
   この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。
   それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』

 The New Testament・The Gospel of Matthew 13:14~15
  In them the prophecy of Isaiah is fulfilled, which says,
   ‘By hearing you will hear,and will in no way understand;
   Seeing you will see,and will in no way perceive;
   for this people’s heart has grown callous, their ears are dull of hearing, and they have closed their eyes;
   or else perhaps they might perceive with their eyes, hear with their ears, understand with their heart, and would turn again, and I would heal them.’


 何度言い続けても、理解しない。何度も見せて来ても、一向に悟る事が無い。

 僕は、これまでの経験上、その様に強く感じている。

 プライバシーが明かされている事をはじめ常に監視下に置かれている様な状況や、特大のメガホンを持って叫ぶどころでは無いテレパシーや超音波の様に広く遠く伝わっている現象については、別のエッセー&記事に書いたのでここでは省略する。

 そんな摩訶不思議な現象が、現実として起こっている。それにより、とかくプライバシーの侵害やストーカー、その他、名誉毀損や侮辱という犯罪に相当する事を、日々、僕は被って来たのだ。

 それらの事はともかくとしても、世間の多くの人々は今まで、一体、何処に目を付けて、何処に耳を向けて視聴しているのかと、甚だ疑問に思えるものだ。

 上に引いた聖書の御言葉は、イエス・キリストが弟子達に話をする中で旧約聖書から引用した部分だ。

 イエス様が引用されたその御言葉は、イエス様の在世時を遡る事、約700年前、今からでは約2700年前に、大預言者イザヤによって預言されたものだ。

 
 



 旧約聖書・イザヤ書6章9~10節
  すると仰せられた。
   「行って、この民に言え。
   『聞き続けよ。だが悟るな。
   見続けよ。だが知るな。』
   この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。
   自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、立ち返って、いやされることのないために。」

 The Old Testament・The Book of Isaiah 6:9~10
  He said,
   “Go, and tell this people,
   ‘You hear indeed, but don’t understand.
   You see indeed, but don’t perceive.’
   Make the heart of this people fat. Make their ears heavy, and shut their eyes;
   lest they see with their eyes, hear with their ears, understand with their heart, and turn again, and be healed.”


 要するに、決して幽霊等では無く、現実に今現在、この世に存在している僕が、世間を客観視して見えている状況の通り、この現代社会に於いて、このイザヤの預言が世間の多くの人々にピッタリと当てはまっている事が解る。

 正に、この約2700年前の預言が、世間の多くの人々の上に成就したと言う事が出来る。

 イエス様は、このイザヤの預言を引用した頃、当時のユダヤの国の世間の人々に対して、丁度、教え方を変えられた。

 その理由は、前に引いた御言葉の中にも書かれている通り、イエス様の説教を聞いたり奇跡を見て来た世間のユダヤ人達が、物質的な欲求をイエス様に求めるばかりで、心が冷淡で鈍く頑なな状態のままであり、神様によって癒される事が無かったからだ。

 つまり、一向にイエス様をキリストとして信じるクリスチャンに成る事も無く、悔い改める事も無く、それ故に天の神様と和解出来ず、つまり神様から赦し(許し)を得る事が出来ず、救われずに居たからであった。

 そしてイエス様は、本質、根本、奥義を隠す様にして、群衆に向けて例え話でしか語る事が無い様になった。

 
 



 新約聖書・マタイの福音書13章10~13節
  すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」
  イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。
  というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。
  わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。

 The New Testament・The Gospel of Matthew 13:10~13
  The disciples came, and said to him, “Why do you speak to them in parables?”
  He answered them, “To you it is given to know the mysteries of the Kingdom of Heaven, but it is not given to them.
  For whoever has, to him will be given, and he will have abundance; but whoever doesn’t have, from him will be taken away even that which he has.
  Therefore I speak to them in parables, because seeing they don’t see, and hearing, they don’t hear, neither do they understand.


 信仰が深まったクリスチャンには、「天の御国の奥義」を知る事が許される。よって、イエス様を信仰しない無神論者、クリスチャンでは無い者には、その事が与えられない。

 悔い改めをしてクリスチャンとなる事による心の準備が出来ていなければ、幾ら教えても理解する事が出来ないであろうし、その「奥義」を吸収する事は出来ないであろう。

 幾ら「教えて、教えて」と駄々を捏ねても、無駄な事だ。まず先に心が整っていなければ、教理の根本、本質を悟る事は不可能だ。

 イエス様が幾ら率直に真実を話されても、幾ら奇跡を起こして見せようとも、ユダヤの多くの世間の人々が、それらの事を無視したり侮る様な態度を取る罪を犯した事によって、イエス様は語り方を変えられる事となった。

 そして、例え物質的、金銭的、この世的な財産に乏しかろうと、敬虔なクリスチャンには、奥義、本質的知識、教養等が増し加わり、一層、心・精神面が豊かになると述べておられる。

 因みに、現代社会には陰謀が蔓延んでいる。しかし、主流のマスメディアをはじめ、この実際に存在する陰謀を「陰謀論」というレッテルを貼り片付けてしまおうとしている。

 その陰謀論というレッテルは、半ばフェイク・ニュースという意味を込めて、事実である陰謀を発信する者の信用度を落とそうとして貼り付けているものだ。

 この陰謀も、この社会に於ける奥義と言えよう。陰謀を理解する為には、それ相応の準備が先ず必要だ。

 準備も無く、様々な溢れる情報に当たっても、却って振り回されてしまうだけだ。自分が動かされる事無く判断し見分けを付ける事が出来る様に成る為には、確固とした判断基準を持つ必要が有る。

 正しい判断基準が無ければ、誤解し、曲解し、間違った解釈をする事となるだけだ。

 この事に於いても、クリスチャンとなって聖書を判断基準にする事によって、社会、そして世間の奥深く、真の姿が、正しく見える様になると言えるのだ。

 準備が出来ていない人々に、幾ら教えても無駄だ。教える側のエネルギーも、時間も、そしてお金も浪費するだけだ。

 内省し、悔い改めた純粋な心は、神聖な奥義を吸収しやすい。しかし、この世の悪の不純物が一杯混じった汚れた心では、理解する事は難しい。

 特に、ものを書けば後々残る事になり、いざという時に証拠としても使えよう。しかし、ものを言う事は、とかくその場限りと成りやすい。

 それ故、本ブログ上でも、頻繁に「本ブログ過去の関連記事」として引っ張り出して来た訳だ。決して、書いた瞬間だけで済ませてはならないとして。

 馬の耳に念仏ならぬ馬の耳に聖書であり、豚に真珠、猫に小判、馬耳東風と、冒頭に引いたイエス様が引用された御言葉は、正に、現代社会の多くの世間の「あなたがた」、「彼ら」である無神論者達の上に成就しているのだ。

 そして、節度も無く、日々、人のプライバシーに土足で上がり込む様にしていても平気な者達、自分がストーカー行為に相当する事をしていても全く気付いていない鈍感な人達、摩訶不思議な現象を見ても嘲笑するだけの人達、これらの人々は、心が麻痺している為に、理解する事が出来ないのだ。

 この世の終わりまで、無神論者達、悔い改め無き不純な心を持つ人々は、決して悟る事が無いと、イザヤは預言する。

(※ この随想であるエッセーでもあり、且つ、事実を述べてもいるこの記事は、今年5月~7月の本ブログの投稿を滞らせていた間の、7月の中頃、僕の思想の中に浮かんでいた事を基にしたものです。よってその間、僕は何も考えずにボーッと過ごしていた訳ではありません。)

 引用聖書
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
  ・新改訳新約聖書(1965年版)(発行:日本聖書刊行会)
  ・World English Bible(eBible.org)


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