狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

世間に媚びずに落選・・・選挙は政治を理解していない人達が投票するもの

2015-01-02 04:23:58 | 日本政治・総合 2012~2017
 先日、昨年(2014年)12月14日の衆議院選挙について。
 大義なき解散総選挙等とマスコミや野党等から批判が出ていましたが、法律案の再議決や憲法改正の発議に必要な2/3議席以上の確保により、憲法改正を行なう事が目的であったと言われています。
 しかし自民党はその様な本音を一切口には出さず、経済対策ばかりを宣伝していました。
 憲法改正を訴えると選挙で負けると言う過去の結果やジンクスがある為に、敢えて世間一般の国民にとって美味しいと感じる政策、世間自身の懐具合が豊かになる様な事ばかりを訴えていました。
 逆に日本維新の会が分裂して出来た次世代の党は、憲法改正をしての自主憲法制定国防軍の創設を最優先にして、堂々とそれを前面に出して訴えていました。
 またインターネット界においては知名度の高い議員がその次世代の党に入った事で、私はタレント揃いの様にも見えていました。
 しかし選挙結果の蓋を開けてみると、次世代の党は惨敗となっていました。
 因みに、私は無党派層にいて「党派心」は持っておらず、組織や団体も基本的に嫌いであるので、どこかの党に拘りは有りません。

 新約聖書・ローマ人への手紙2章7~8節
  「忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、
  党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。」
 
 新約聖書・ガラテヤ人への手紙5章19~21節
  「肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
  偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
  ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。」

 インターネットが普及していても、その上で政治に関心のある人がまだまだ少数派で、ゲームやエンタメ等にのみ関心を持つ人が多数を占めているのではないかとも思います。インターネット界で知名度が高くとも、世間一般の全体から見れば、まだまだ知られてはいないのではないかとも思います。
 次世代の党は選挙前に比べて大きく議席数を減らし、一方の維新の党はほぼ同じ議席数を維持しました。「維新」の名が世間一般に浸透し、次世代は結成間もない事もあって知名度が低く、その党名・看板のせいだとも言われています。
 その党名・看板のせいもあると思いますが、私は次世代の党が世間に媚びずに堂々と本音を正直に訴えていた事が原因であると思います。世間に迎合せずに、憲法改正による自主独立憲法の制定や国防軍の創設を訴えていました。自民党は要領良く世間の高感度を高め、逆に次世代の党は要領が悪かったものと思います。
 確かに行き過ぎた排外主義やヘイトスピーチは間違っていると私は思います。
 結局選挙というものは、あまり政治の事を理解していない世間の人達が投票するもの。そしてその世間の人達の機嫌を取れば良いだけのこと。世間の人達の頭に有るのは、自分の懐具合。理解していないが故に、党名や看板、宣伝、イメージが物を言います。またある組織や団体、組合、学会、協会等に加入している場合、その組織の考えで投票する訳で、自分個人の考えではありません。
 故に選挙で選ばれたからと言って、その事に価値が有る訳ではなく、正しい訳でも有りません。選挙で落選したからと言ってその人が間違っている訳では有りません。殆ど解っていない世間の人達に選ばれただけに過ぎません。
 世間に迎合せずに正しい事を言い、世間に嫌われたから落選したに過ぎません。世間の大多数は、矛盾や偽善、嘘が渦巻く上での馴れ合い、癒着、迎合、隷従、虚栄等により作られている「偽りの平和」の中での安泰を望み、真実を求めず、真の為の変革を望んでいません。ただ単に飲み食い出来たら良いとか、自分の欲望を満たす事が出来れば良いとか、またその様な事が幸せであると思っているだけである様に思います。
 イエス・キリストがなぜ十字架に付けられて殺されたのか。正しい事を言い、正しい事をしたが故に、「偽りの平和」を壊そうとしたが故に、その当時の支配者・権力者に嫌われ、またそれらに扇動された世間の人々からも嫌われたから磔刑に遭いました
 
 本ブログ過去の関連記事↓↓
   ・2013/06/09付:「日米安保からの『自立』が、真の『戦後レジームからの脱却』」
   ・2013/07/20付:「憲法改正による真の主権回復へ・・・日本の真の独立・自立で経済・社会・防衛等の問題の根本的解決が可能に 」
   ・2013/09/30付:「あの『ワイマール憲法』発言は、日本が『独立』に向けた、ユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンへの決別と対決の表明であったのか」
   ・2014/12/07付:「世間に迎合する政治家・・・『経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、・・・』」
   ・2013/01/15付:「欧米・日本のマスコミが流さなかった、正義のカダフィ大佐の『真実』」 

 参考動画↓↓
 

YouTube: [宇野正美] 憲法改正とは日本独立である



YouTube: 正義のカダフィ大佐は日本が自主独立憲法と国防軍を持たない事を憂えていた



 

プロテスタント教会は抗議せず世間や権力に迎合している・・・「平和」や「愛」の言葉による麻痺

2015-01-02 00:59:30 | 宗教組織
 そもそも「プロテスタント」の意味は、反抗する者、異議を唱える人、抗議者。
 16世紀当時、カトリック教界神の下の平等に反する階級制度を持ち、豪華壮麗な教会を建て、人間マリア等の偶像を建て、免罪符を発行して売る等をして腐敗。
 そのカトリック教界に対して、マルティン・ルター氏らが反抗し抗議して改革運動を起こした事が、プロテスタント教界の始まり。
 しかし現在においては、プロテスタント教界は抗議せず異議を唱えず、却って逆に権力や権威、世間一般に迎合しています。
 教会は「平和」や「愛」ばかりを唱え、その為の迎合や隷従、偽善等を認めている様にも思えます。
 教会では、聖書のヨハネの黙示録等に書かれている様な戦争や災害、この世の終わり等の預言の事は言いません。特に日本に於いては、キリスト教の信者数は1%にも満たない極めて少数派である為に、その様な事を言おうものなら世間一般に危険な宗教、反社会的宗教等と思われる事を恐れて、誤解される事を恐れて言いません。そして、世間に耳当たりの良い言葉である「平和」や「愛」ばかりを唱えています。
 米国等のプロテスタント教界も、裏の支配権力が背後にいたり、イエスをキリスト(救世主)として認めないユダヤ人・ユダヤ教に迎合して教会の生き残りを図っています。
 また日本人は、「和」を重んじると言われています。しかしこの事も、元々日本は多民族国家であったものを、原日本人ではない渡来人により大和朝廷を成立させていく上において、民族個々のナショナリズムを支配者によって強制的に抑えつけ、そして一つにまとめて「和」としたものから始まりました。
 「平和」とは、平らにして和とするもの。かつてのソ連がそうであった様に、支配者・権力者が上から強制的に押さえつけて、元々個性がバラバラで能力・特色に差がある様な凸凹な状態を平準化して「和」とするものです。全ての人を平準化する為には、低いレベル、奴隷の様にする事が必要となります。
 現在の社会、会社、学校、各種組織・団体においても「和」が重んじられて、協調性が叫ばれています。しかしその「和」や協調性は、癒着関係、馴れ合い、なあなあ、贈収賄、迎合、媚びへつらい、追従、偽善、隷従・隷属等によって保たれているに過ぎず、「和」の為に悪を認める、自身の保身や安泰の為にその様な「偽りの平和」を作っています。
 その様に間違った「平和」や「愛」の中に埋没して麻痺してしまう事が、俗にいう「平和ボケ」。悪や誤り、偽善、嘘、人の痛み、自身の奴隷状態等に気付かず、それらに対する怒りも生じず、また自分の罪にも気付きません。
 一方、イエス・キリストはそれらの様な「偽りの平和」に反対して、次のような言葉を述べています。

 新約聖書・マタイの福音書10章34~39節
   「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。
  なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。
  さらに、家族の者がその人の敵となります。
  わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
  自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
  自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」。

 イエス・キリストは、在世当時のユダヤの国を支配していたユダヤ教の指導者達を「偽善者」と批判し、その偽善者達によって保たれていた偽りの平和・安泰・体制を破壊して天の父・創造主の御心に適う様な真に正しいユダヤ社会への改革に挑み、その事を憎み嫌ったユダヤの指導者・支配者達がユダヤの世間一般市民を扇動して、イエス・キリストを十字架に付けて殺しました。
 現在世界的に進められている「グローバル化」は、世界支配権力が「偽りの平和」を作ろうとしているもので、それに反発する形で現われているのが、世界支配権力・グローバリストに右翼等とレッテルを貼られている「ナショナリズム」

 本ブログ過去の関連記事↓↓
   ・2012/12/26付:「『馴れ合い』『なあなあ』『かわいさ』を打破し、『真実』をもたらしたイエス・キリスト」
   ・2014/01/12付:「イエス・キリストはなぜ殺されたのか・・・『革命者』イエス」
   ・2014/01/19付:「『宗教組織』による『創作』(1)・・・クリスマス、誰が勝手に12月25日と定めたのか」
   ・2014/01/19付:「『宗教組織』による『創作』(2)・・・人間マリアの『偶像』と、『懺悔室』の傲慢」 
   ・2014/04/29付:「人間が勝手に認める『聖人化』・・・神の下の平等に反する階級制度」