知識を持ってする「偽善」では無く、無知で「純粋」な気持ちでする事においては、「罪」は無いものと思います。しかし信仰を持つ事によって、それを根拠として罪に当たる事を知っていく様にしなければいけないと思います。
事前に真実や裏側の事情を知らないで、或いは気が付かないで罪に当たる事をする事と、悪いと言う事をする前から知っていて行なう事とは異なります。医療の現場の末端の人達は大抵前者に当たるとは思いますが、同じ医療においても権威・権力を持つ上層部の人達は後者が多いのではないかと思います。しかし、その権威・権力に媚びへつらう者も少なくない事も事実です。大学病院等の大きな組織程、その傾向が強いのではないかと思います。
また同様に、不注意による「過失」と、わざとする「故意」は異なります。現在の科学や医療のレベルから基準や予想を立てる事が出来る範囲内で起こされる「過誤」は「過失」に当たり、想定外で思いがけずに起こる「事故」とは異なります。
新約聖書・テモテへの手紙 第一1章13節「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。」。
同書・へブル人への手紙10章26~27節「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。」。
同書・ヤコブの手紙4章16~17節「ところがこのとおり、あなたがたはむなしい誇りをもって高ぶっています。そのような高ぶりは、すべて悪いことです。こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、それはその人の罪です。」。
同書・使徒の働き17章30節「神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。」。
同書・コリント人への手紙 第二7章11節「ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。また、弁明、憤り、恐れ、慕う心、熱意を起こさせ、処罰を断行させたことでしょう。あの問題について、あなたがたは、 自分たちがすべての点で、潔白であることを証明したのです。」。
同書7章10節「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」。
「神のみこころに添った悲しみ」とは、神の願い・神の想い・神の命令・神の御心に適った事、それらが出来ない事によるものであると思います。反対に「世の悲しみ」とは、自分の望みや欲望が叶わない事によるものと思います。
また同書10章1~18節の御言葉からの私の解釈は次です。神からの自分への割り当てによる、自分の持ち場・持ち分の範囲内で節度を守り、自分の意志や欲望で動いている人達と比較せずに、私は私、人は人として在る事。又、謙遜である事で他人を立て、比較しない事。肉(欲望)に従って生きる人達に対して、憤り(怒り)を出来れば起こしたくは無いと言う事です。
以下に、関連動画を添付します。↓↓
事前に真実や裏側の事情を知らないで、或いは気が付かないで罪に当たる事をする事と、悪いと言う事をする前から知っていて行なう事とは異なります。医療の現場の末端の人達は大抵前者に当たるとは思いますが、同じ医療においても権威・権力を持つ上層部の人達は後者が多いのではないかと思います。しかし、その権威・権力に媚びへつらう者も少なくない事も事実です。大学病院等の大きな組織程、その傾向が強いのではないかと思います。
また同様に、不注意による「過失」と、わざとする「故意」は異なります。現在の科学や医療のレベルから基準や予想を立てる事が出来る範囲内で起こされる「過誤」は「過失」に当たり、想定外で思いがけずに起こる「事故」とは異なります。
新約聖書・テモテへの手紙 第一1章13節「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。」。
同書・へブル人への手紙10章26~27節「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。」。
同書・ヤコブの手紙4章16~17節「ところがこのとおり、あなたがたはむなしい誇りをもって高ぶっています。そのような高ぶりは、すべて悪いことです。こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、それはその人の罪です。」。
同書・使徒の働き17章30節「神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。」。
同書・コリント人への手紙 第二7章11節「ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。また、弁明、憤り、恐れ、慕う心、熱意を起こさせ、処罰を断行させたことでしょう。あの問題について、あなたがたは、 自分たちがすべての点で、潔白であることを証明したのです。」。
同書7章10節「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」。
「神のみこころに添った悲しみ」とは、神の願い・神の想い・神の命令・神の御心に適った事、それらが出来ない事によるものであると思います。反対に「世の悲しみ」とは、自分の望みや欲望が叶わない事によるものと思います。
また同書10章1~18節の御言葉からの私の解釈は次です。神からの自分への割り当てによる、自分の持ち場・持ち分の範囲内で節度を守り、自分の意志や欲望で動いている人達と比較せずに、私は私、人は人として在る事。又、謙遜である事で他人を立て、比較しない事。肉(欲望)に従って生きる人達に対して、憤り(怒り)を出来れば起こしたくは無いと言う事です。
以下に、関連動画を添付します。↓↓
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YouTube: 山本晋也人間一滴 置かれた場所で咲きなさい 渡辺 和子