乍恐口上「潮御崎神社記録」第一ページ、上の画像の一~二行目
解読 乍恐口上
上野浦御崎大明神者、神代之神ニ而
読み 恐れ乍ら口上
うわの浦み崎大明神は、神代の神にて
解説 潮岬会合に続いて、潮御崎神社の古記録に関する古文書を学びます。前回までの、潮岬会合の文書と筆跡も全く似ており、同一人物の筆によるものと思われます。
「上野浦」・・・『うわのうら』と呼びます。合併前の、旧西牟婁郡潮岬村(現在の串本町潮岬地区)の事。潮岬は千六百万年前の火山活動により出現した離島でしたが、トンボロ現象により本土と繋がった「陸繋島」『りっけいとう』です。本土と繋がったのは、凡そ一万年前と言うことです。 表面を海水で削られながら、隆起した地形で、この様な地形を「海蝕台地」『かいしょくだいち』と言います。本土側から見て、高い土地に廣い野原が有るので、『うわの』上野と言います。海抜六十~九十㍍の平坦な地形です。 「御崎大明神者」・・・御崎大明神社は。 「神代の神ニ而」・・・神代の昔からの神様で。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます