Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

湯煙と近眼。

2008-03-30 | 異国憧憬
 私にとっての温泉街に必要なもの。
それは、車の入れない道と、川と、山のすがたと、常よりも確実に遅く流れる時間。
加えて、自身の視力がよかったならばどんなにか、と思う。

 温泉は、行ってみればよいところである。とはいえ、温泉をさして好きでないという人(かつての私を含めた)は少なからず居る。その共通する理由を考えるにあたり、決定打となったのが「視力」の問題だ。
 温泉に入るときには眼鏡やコンタクトを外すのが常だ。しかし、視力の悪い人にとって、自身が裸あるいはそれに近い状態にまで薄着になる場所で、更に床が固く、おまけに水がセットになっているところ -- プールや風呂のような -- は、恐怖の対象である。足元の段差が見えない。おまけに滑る。肌がふやけている可能性があるから、コケたらきり傷打ち身は必定だ。

 「露天風呂から雪を眺めて」などの『絶景かな』を謳い文句にしているところも多いが、絶景が見える視力がこちらにはない。風雅な眺めの露天風呂も、手の込んだ浴室の内装も、全てがまるで水の中のようにぼんやりしている。近眼のひどい人はきっと漏れなくこういう不便な思いをしているのであって、温泉宿の謳う「風呂のすばらしさ」のすべてを満喫できることはまずない。近眼者のための新しい楽しみかた(近眼者でないと判らない限定的なタノシミ)とか恐怖の軽減とか、近眼割引とかがあればよいのにと思う。

 そんな私が宿で楽しめることと云えば、部屋付きの温泉に入りまくることでも豪勢な食事でもなく、ただ、部屋でぐったりとすることだ。風呂に入りたければ入り、縁でぼんやりしたければ煙草をふかす。疲れたら寝て、呼ばれれば起きる。
その間、できるだけ時計を見ないで済んだならば、それはとてもよい宿だ。