Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

まだ見ぬ仏像へ。

2008-03-19 | 芸術礼賛
 今日(アメリカ時間昨日)、嬉しいニュースが届いた。
ひとつの運慶の仏像が日本にこれからも住んでいてくれることが明らかになったことだ。
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【ニューヨーク18日時事】
鎌倉時代の仏師、運慶の作品とみられる木造大日如来像が18日、ニューヨークの競売商クリスティーズで競売に掛けられ、日本の大手百貨店の三越が1280万ドル(約12億7000万円、手数料除く)で落札した。クリスティーズによると、日本の美術品としては過去最高、仏像としても世界最高の金額という。
 運慶は(略)その作品の多くが国宝か重要文化財に指定されている。文化財保護法によれば、指定文化財の国外への持ち出しには文化庁長官の許可が必要だが、この仏像は確認から日が浅いこともあり、こうした指定を受けていなかった。運慶の作品が国外で取引されるのは初めてで、海外流出の恐れが取りざたされていた。
 落札された仏像は(略)、作風などから運慶が鎌倉初期の1190年代に手掛けた作品とみられる。現在の所有者が2000年に北関東の古美術商から入手したとされ、03年に東京国立博物館の調査で運慶作の可能性が高いと判断された。
 この日の競売には内外から応札が相次ぎ、落札額は予想価格(150万~200万ドル)の6倍以上に達した。最後は三越と米個人収集家の一騎打ちとなったが、三越が制したことで、海外流出の危機は逃れた。
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 今回の危機を呼び起こしたポイントは以下の2点。
1) 当該仏像が文化財指定されていなかったこと(所有者が拒否したという噂もある)
2) 国庫から特別予算が下りなかったこと

 文化財保護法は、文化財それぞれの適切な保護のために制定されたものである。しかし、戦後の混乱の中で多くの美術品が海外流出したことを受け、貴重な日本の文化を国内に遺しておくためのリスク管理という意味合いもあった。文化財は、指定されているものばかりが優れているのだとは限らない。例えば正倉院に収められている御物のように、文化財指定を受けていなくとも同価値に貴重なものがある。それらに法の網がかからないというだけで、我々は自由に美術品を売買できるわけだ。

 一方で、日本には海外作の国宝もある。よって、単に公平性を考えただけでも、「わが国で製作された美術品が海外に流れることはあってはならない」とは言い切れない。また、海外の有力なコレクターの存在が作品を良好な状態で護った実例もある。近年の伊藤若冲ブームは、ご存知のように、アメリカのコレクターであるプライス氏の功績が大きい。当時、まだ日本の美術史家からも決して評価が高くはなかった若冲の作品にプライス氏が惚れ込み、集めてくれたことによって、多くの作品が世界中に分散し行方知れずになることを免れた。

 今回の件は、美術界ではある種の「非常事態」であったと云える。中学生でも(小学生か?)社会で習うところの運慶の作品は、その美術的・歴史的な価値を誰もが認めるところである。しかし、その数少ない作品のひとつを国の財産として留めておくための特別予算が組まれることはなかった。そうすべきであった、とは決して云わない。そうならなかったことが淋しいだけだ。

 それには、通常予算の手仕舞い時期にあたる3月にオークションが開催されたということも災いしていることは確かだ。しかし、凡例や前例を無視して「このための予算が国にとって今必要です」と議会内、ひいては国民全般に対して自信を持って誰かが公言できるほど、文化(あるいは文化的なもの)の重要度はこの国において高くない。危機的治安状況にある際の軍事予算を急遽組むことと同様に、この文化流出の危機を感じることができなかったか、あるいはそう信じることに自信がなかったか、であろう。


 作為的に醒めさせた思考で傍観していただけの私の感慨は、ただ素直に「嬉しい」ということだ。
海外よりも近い国内に居るほうがきっと、逢えるまでの日が短くて済む。


会社の窓から望む三越のビルが、今日はいつもよりも清廉として見えた。

三越、ありがとう。