金子みすゞさんの詩のタイトルをふと思い出しました。
みんな違ってみんないい・・・
みんな違うって当たり前のことなのですが、意外と忘れがちな気がします。
自分と親しい友達、身近にいる家族は同じ感想を持ってくれる?
わかってくれる?
つい、そう感じてしまいます。
自分が憤りを感じている時は、周りのみんなも一緒になって怒ってくれると
安心するなど、自分と周りの人の気持ちがリンクするとホッとするところが
あり、相反してしまうと居心地が悪いものかもしれません。
子どもを叱る時、親がその目的を
「 ごめんなさい。」
と言わせるため、あるいは反省させるところに意識を置きすぎると、先走り過ぎて
子どもの言葉を否定してしたり、頭ごなしの口調になりませんか?
「 ○○しては、ダメでしょう!!。」
「 △△しなさい。」
そこから入ってしまい、それが日常的になると子どもは言い訳をしたり、反抗したり・・・
あるいは、その場しのぎで反省していなくても、口先だけの「ごめんなさい」になって
しまわないでしょうか?
これは、子どもだけではなく、高齢者介護に携わっておられる方にも同様のことが
当てはまるように思います。
大人も子どもも、みんな認められたい・・・
心理学で言うところの承認欲求という部分は誰しも持っている感情です。
自分からこうしたい・・・そういう思いになれるよう応援する関わり方ができれば、
結果的に分かり合える近道なのです。
みんな違うというところを認めること。
あなたはこう感じているのね・・・
と受けとめられることが、コミュニケーションの第一歩でしょう。
しかしながら、ストレスが溜まるとそんなに大らかになれない?
ハイッその通りです。
心理カウンセラーである私も人間。
そばに居る夫からは、失笑されています。
私も、自分自身のカウンセリングはできないので、他の方にお願いします。
目標は、I'm OK.
You're OK. です。
かきかわ統合医療相談室
みんな違ってみんないい・・・
みんな違うって当たり前のことなのですが、意外と忘れがちな気がします。
自分と親しい友達、身近にいる家族は同じ感想を持ってくれる?
わかってくれる?
つい、そう感じてしまいます。
自分が憤りを感じている時は、周りのみんなも一緒になって怒ってくれると
安心するなど、自分と周りの人の気持ちがリンクするとホッとするところが
あり、相反してしまうと居心地が悪いものかもしれません。
子どもを叱る時、親がその目的を
「 ごめんなさい。」
と言わせるため、あるいは反省させるところに意識を置きすぎると、先走り過ぎて
子どもの言葉を否定してしたり、頭ごなしの口調になりませんか?
「 ○○しては、ダメでしょう!!。」
「 △△しなさい。」
そこから入ってしまい、それが日常的になると子どもは言い訳をしたり、反抗したり・・・
あるいは、その場しのぎで反省していなくても、口先だけの「ごめんなさい」になって
しまわないでしょうか?
これは、子どもだけではなく、高齢者介護に携わっておられる方にも同様のことが
当てはまるように思います。
大人も子どもも、みんな認められたい・・・
心理学で言うところの承認欲求という部分は誰しも持っている感情です。
自分からこうしたい・・・そういう思いになれるよう応援する関わり方ができれば、
結果的に分かり合える近道なのです。
みんな違うというところを認めること。
あなたはこう感じているのね・・・
と受けとめられることが、コミュニケーションの第一歩でしょう。
しかしながら、ストレスが溜まるとそんなに大らかになれない?
ハイッその通りです。
心理カウンセラーである私も人間。
そばに居る夫からは、失笑されています。
私も、自分自身のカウンセリングはできないので、他の方にお願いします。
目標は、I'm OK.
You're OK. です。
かきかわ統合医療相談室